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マティスの言葉 デッサンについて(2)ひとりの画家のデッサンについてのノート(中)

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 宝石とアラベスクは、モデルによるわたしのデッサンにとって重荷となるようなことはない。なぜなら、宝石とアラベスクはわたしの交響楽法(オーケストラシオン)の一部だから、うまく配置された宝石とアラベスクは、デッサンに必要なヴァルールの調子やかたちを暗示してくれる。ここで、つぎのような医者の言葉が思い出される。「あなたの素描(デッサン)を見ると、あなたがよく解剖学を知っておられることがわかって、驚かされます」─動き(ムーヴマン)が線の論理的なリズムによって表現されているわたしのデッサンは、活動中の筋肉の働きを医者に思い浮かべさせたのだ。

 このように、ペンによってデッサンを描く前に、わたしがありのままの自然なものを研究するのは、優雅さを現わすためである。わたしはけっして荒々しさを受け入れない。反対にわたしは舞踊家や曲芸師のようなものだ─彼らは観衆の前で、一連のダンスの、ゆっくりとした、あるいは激しい運動によって、あるいは優雅な旋回によって、自分の感動を表現しようとするとき、肉体のすべての部分が自分の思うままになるように、彼らは一日の初めに、いろいろな柔軟体操を数時間も行うのである。
 わたしはつねにデッサンというものを特殊な巧みさ・器用さの訓練とはみなさないで、何よりも内面の感情や心境を表現する一方法とみなしてきた。しかもその表現にいっそうの単純さ、率直さを与えるために単純にした方法とみなしてきた。そういう表現が重苦しさを与えることなしに観衆の精神に訴えるのである。
(つづく)

(『美術運動』1988年2月)

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