アンリ・マティス
ひとりの画家のデッサンについてのノート(一九三九年)
わたしの受けた教育は、色彩とデッサンによる、いくつかのちがった表現方法をわたしに説明することにあった。わたしの受けた古典的な教育は、自然にわたしをして巨匠たちを研究するように促し、量感(ヴォリユム)とか、アラベスクとか、対照(コントラスト)とか、調和とかを考察しながら、巨匠たちを吸収することであり、自然に即した自分の仕事のなかに自分の反省をもちこむことであり、それは、巨匠たちの手法(メッチェ)を忘れなければならないことに、あるいはむしろ、独自の仕方で彼らを理解しなければならないことに、わたしが気づいた日までつづいた。これは古典を勉強する際の芸術家の法則ではなかろうか。それからオリエント芸術についての知識と影響がやってきた。
影をつけない線だけによるわたしのデッサンは、わたしの感動をあらわす直接的で、もっとも純粋な表現である。方法の単純化によってそれが可能となる。けれども、それらのデッサンは、それらを一種の下書き(クロッキー)とみなすある人たちの眼に見えるかもしれない以上に完璧なものである。それらのデッサンは光の再生産者である。弱い陽のなかや間接的な照明のなかで見ると、それらのデッサンは、線の味わいやセンスにもまして、色彩に通ずる色調(ヴァルール)の相違と光とをはっきりと含んでいる。これらの質は、多くの人びとにとって、光のさなかでも見えるものである。これらの質が得られたのは、それらのデッサンが描かれる前には、線描や、例えば木炭やぼかし用の擦筆のようなより厳格でない方法による何枚もの習作が行われていたからである。こういう方法によって、モデルの特徴、その人間的な表情、それをとり巻く光の質、その環境、デッサンでしか表現しえないすべてのものを同時に考察することができる。そして数回の制作にわたるこの作業によって、わたしがへとへとに精根をつかいはたした時に初めて、精神が澄みきって、わたしは自信をもってペンの赴くままにまかせることができる。そのときわたしは、わたしの感動が造形的筆記(エクリキュール)の方法で表現された、ということをはっきりと感じる。
(つづく)
(『美術運動』1988年2月)
ひとりの画家のデッサンについてのノート(一九三九年)
わたしの受けた教育は、色彩とデッサンによる、いくつかのちがった表現方法をわたしに説明することにあった。わたしの受けた古典的な教育は、自然にわたしをして巨匠たちを研究するように促し、量感(ヴォリユム)とか、アラベスクとか、対照(コントラスト)とか、調和とかを考察しながら、巨匠たちを吸収することであり、自然に即した自分の仕事のなかに自分の反省をもちこむことであり、それは、巨匠たちの手法(メッチェ)を忘れなければならないことに、あるいはむしろ、独自の仕方で彼らを理解しなければならないことに、わたしが気づいた日までつづいた。これは古典を勉強する際の芸術家の法則ではなかろうか。それからオリエント芸術についての知識と影響がやってきた。
影をつけない線だけによるわたしのデッサンは、わたしの感動をあらわす直接的で、もっとも純粋な表現である。方法の単純化によってそれが可能となる。けれども、それらのデッサンは、それらを一種の下書き(クロッキー)とみなすある人たちの眼に見えるかもしれない以上に完璧なものである。それらのデッサンは光の再生産者である。弱い陽のなかや間接的な照明のなかで見ると、それらのデッサンは、線の味わいやセンスにもまして、色彩に通ずる色調(ヴァルール)の相違と光とをはっきりと含んでいる。これらの質は、多くの人びとにとって、光のさなかでも見えるものである。これらの質が得られたのは、それらのデッサンが描かれる前には、線描や、例えば木炭やぼかし用の擦筆のようなより厳格でない方法による何枚もの習作が行われていたからである。こういう方法によって、モデルの特徴、その人間的な表情、それをとり巻く光の質、その環境、デッサンでしか表現しえないすべてのものを同時に考察することができる。そして数回の制作にわたるこの作業によって、わたしがへとへとに精根をつかいはたした時に初めて、精神が澄みきって、わたしは自信をもってペンの赴くままにまかせることができる。そのときわたしは、わたしの感動が造形的筆記(エクリキュール)の方法で表現された、ということをはっきりと感じる。
(つづく)
(『美術運動』1988年2月)
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