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マティスの言葉 デッサンについて(1)

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マティスの言葉 デッサンについて

                      大島博光

 アラゴンに大冊二巻から成る『アンリ・マティス・ロマン』という、マティスの絵画選集を兼ねた小説(ロマン)がある。一九七一年の刊行で、出るとすぐわたしはそれを求めたが、ほとんど読みもせずに本棚にならべて置いた。さいきん、この本のあらましでも紹介してみようと思って、読んだり翻訳を始めたりしてみたが、とてもひとすじ縄ではゆかない代物であることがわかってきた。というのも、この本は、一九四一年から一九六八年にかけて、アラゴンがマティスについて書いた文章の集大成であって、そこには、マティスとアラゴンの対話、アラゴンの夢想、ファンタジー、歴史の出来事、マティスの足跡に生まれたもの、本、経験、展覧会など、まことに広範な世界が描かれ、語られているからである。
 またここには、マティスがアラゴンに語ったり、書いてみせたりした、興味ぶかい、ユニークな言葉や文章(手紙)も収められている。それはデッサン論であったり、色彩論であったり、コンポジション(構図・構成)論であったりする。
 そしてこういう芸術・絵画・デッサンについてのマティスの言葉を一冊に編んだ本があることもわたしは知った。編者はドミニック・フルカドである。むろんこの本には、マティスがアラゴンに語った 言葉も収められている。
 ここではまず、デッサンについてのマティスの言葉を紹介してみたい。じつは、わたしは初めてマティスのデッサン論を読んだとき、その面白さに感動した。
 そこでは、モデルにむかって、モデルをデッサンする画家自身が、その制作過程やデッサンのありようについて、きわめて知的な考察をし、分析をして、デッサンそのものの意義を追求しているのである。このような芸術創造の眼にみえない過程についての、ひとりの偉大な画家の自己省察が、詩人アラゴンの興味と関心をそそったとしてもふしぎではない──わたしはそう思った。

 マティスのデッサン論に入る前に、『二○世紀のデッサンと水彩画』の著者レイモン・コニアの、デッサンについての解説をちょっと見ておきたい。彼は言う。
 「デッサンは絵画史のなかで重要な位置を占めているが、しばしばその役割は過少評価されている。一般に、デッサンは、本番の絵画作品を制作する前の細部の習作、下絵のクロッキー、構図をきめる大きな線の配置といったものとみなれてきた。・・・しかしデッサンは、こんにち、そういう副次的な役割を越えて、デッサンもまたいわゆる絵画と同様に、それ自身完全な、決定的な表現とみなされるようになった・・・
 デッサンは大きく二つの種類にわけられよう。陰影をつけないデッサン dessin au trait と筆によるデッサンの二つである・・・現実の再現にアプローチし、量感、質感、空間感覚を生みだすには、陰影やぼかしを用いたデッサンの方が都合いい。しかし陰影をつけないデッサンには、どんな策略も加える余地がない。それは暗示するだけである。一つの量は、一本の輪郭線によって表現され、一つの動きは、一つのアラベスクによって表現される。マティスのデッサンは、どんな遠近法も、線影も、陰影も用いずに、なんとそれらの感覚を奇跡的に生みだしていることだろう?一つの顔や座布団(クッション)をかこむ輪郭線が、なんと皮膚の感じや布切れの感じを観る者に与えることだろう? このようなデッサンは、芸術の極致である正確な知識と技法を必要とするもので、それは巨匠にだけぞくするものである・・・」(『二○世紀のデッサンと水彩画』)
(つづく)

マチス

アラゴン『アンリ・マティス・ロマン』より


(『美術運動』118号 1988年2月)


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