ヴァンスの礼拝堂の来歴(『小説アンリ・マチス』)
ルイ・アラゴン 大島博光訳
美しくて活発で知的な若い娘モニック・B嬢は、ニースの看護学校を卒業したので、病気療養中のマチスの看護にやってきた。
その後、マチスがふたたび仕事を始めたとき、彼女の堂々とした容姿の美しさにうたれて、彼は彼女にモデルになってくれるように頼んだ。1942年〜43年のあいだに、彼は彼女を数点の絵に描き、(「緑の服の若い娘とオレンジ」「偶像」」「豪華なたばこ」)たくさんのデッサンに描いた。
1943年の末、彼らはヴァンスで再び出会った。マチスは起こりうるニースからの立退き令を避けてヴァンスに避難していた。(訳注 当時ムッソリーニのイタリア軍がニースに進駐したためである)そして彼女の方は、ヴァンスにあるドミニコ会修道女たちの経営する保養所に静養に来ていた。彼女は結核の初期という重い注意を受けたばかりであったが、幸いに病気の進行はくいとめられた。
彼女は大きな実践力と組織力にめぐまれた行動的な娘で、陽気な性格と機知に富んだ精神をあわせもっていて、たちまち小さな教団にとって貴重な助手となった。彼女は休暇を保養所と地域の子供たちのためにつくした。彼女はガールスカウトの隊長になった。
彼女はしばしば通りすがりにマチスを訪れて、ときおりモデルとしてポーズをとった。
彼女は父親を失(な)くしていた。マチスの子や孫たちは彼から遠くに住んでいた。そこで二人の間には一種の深い愛情が生まれていた。彼女にとっては祖父にたいする孫娘のもつような愛情であり、マチスにとっては、病弱のためにベッドに縛りつけられている老人が、若さのまっ盛りに、肉体的欠陥という考えに精神的にひどいショックを受けた若い娘に対する愛情だった。
(つづく)
(自筆原稿)
ルイ・アラゴン 大島博光訳
美しくて活発で知的な若い娘モニック・B嬢は、ニースの看護学校を卒業したので、病気療養中のマチスの看護にやってきた。
その後、マチスがふたたび仕事を始めたとき、彼女の堂々とした容姿の美しさにうたれて、彼は彼女にモデルになってくれるように頼んだ。1942年〜43年のあいだに、彼は彼女を数点の絵に描き、(「緑の服の若い娘とオレンジ」「偶像」」「豪華なたばこ」)たくさんのデッサンに描いた。
1943年の末、彼らはヴァンスで再び出会った。マチスは起こりうるニースからの立退き令を避けてヴァンスに避難していた。(訳注 当時ムッソリーニのイタリア軍がニースに進駐したためである)そして彼女の方は、ヴァンスにあるドミニコ会修道女たちの経営する保養所に静養に来ていた。彼女は結核の初期という重い注意を受けたばかりであったが、幸いに病気の進行はくいとめられた。
彼女は大きな実践力と組織力にめぐまれた行動的な娘で、陽気な性格と機知に富んだ精神をあわせもっていて、たちまち小さな教団にとって貴重な助手となった。彼女は休暇を保養所と地域の子供たちのためにつくした。彼女はガールスカウトの隊長になった。
彼女はしばしば通りすがりにマチスを訪れて、ときおりモデルとしてポーズをとった。
彼女は父親を失(な)くしていた。マチスの子や孫たちは彼から遠くに住んでいた。そこで二人の間には一種の深い愛情が生まれていた。彼女にとっては祖父にたいする孫娘のもつような愛情であり、マチスにとっては、病弱のためにベッドに縛りつけられている老人が、若さのまっ盛りに、肉体的欠陥という考えに精神的にひどいショックを受けた若い娘に対する愛情だった。
(つづく)
(自筆原稿)
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