レジスタンス下の画家たち・3
アラゴン『小説アンリ・マチス』について──マチスのルーツとひろがり──
大島博光
アンリ・マチスは、1869年12月31日、ベルギーに隣接した北仏ノール県・カンブレーのカトオで生まれた。ノール県の西隣のアルデンヌ県・シャルルヴィルは詩人アルチュール・ランボオの生地である。
そこでランボオを愛するアラゴンは、有名なランボオの散文詩の一節を引用しながら、マチスのルーツをさぐる。それは一見、画家マチスの生成にはあまりかかわりがないように見えるが、偉大な画家としての人間マチスの全体像を描くには、やはり必要な肉付けとなろう。アラゴンのテクストに移ろう。
画家マチスの三つの側面
マチスのなかにヨーロッパ人を見るというのは、言いすぎか、あるいは言い足りないかである。彼の教養は、生まれたフランドルのはるか彼方にひろがり、彼が目の前にして生きているこの地中海を越える。タヒチ、アラブ世界、中部アジアのアルカイクの古い文明、これらのすべてが彼には好ましいもので、あの認識するという癒しがたい不思議な飢えがそこでみたされたのである。彼の鳥小屋には全世界の鳥たちがいる。
それとともに、忘れられないのは、マチスがフランス人だということだ。ノール出のフランス人であり、フランスの多様性をなすすべてのものをみごとに統一することを知っている、あの人びとのひとりである。カンブレーの男、フランスの画家、世界の市民。ときほぐすべき主題(テーマ) である。
おれは祖先のゴール人から受けついだ……
おれは祖先のゴール人から受けついだ、白みがかった青い眼を、偏狭な脳味噌を、そして不器用な喧嘩っぷりを。おれの着ているものも彼らのと同様に野蛮だ。しかしおれは、髪にバターなどを塗りはしない。
(アルチュール・ランボオ『地獄の季節』)
カンブレーの男。……ノールは、ケルンからパリへ通ずる大道が通る国だ。侵略の大道だ。人びとは数世紀のあいだ、あらゆる旗が自分の国を通るのを見た。彼らはそれに手を出したり、なすままにまかせたりすることを学んだ。
マチスはあの青い眼をどこからうけついだのか。それはケルトの眼だとわたしは考えたい。マチスはきわめて遠い祖先に似ているのだ。カンブレーの国を占領して、商人とゲルマンの二種類の人間たちの入国を禁じた、あのネルヴィアン人に似ているのだ。(訳注・ネルヴィアン人はケルト族に属する北方のゴール民族)彼らは、ゴールのもっとも優秀な歩兵だった。御しがたい連中で、ローマ人でさえ彼らに「自由民」の資格を認めざるをえなかった。シーザーは彼らの独立不覇の精神と勇気について語っている。彼らは野蛮人とみなされた。しかし、侵略者に屈服しない人民はつねに侵略者の眼には野蛮人なのだ。その点はまったくよく似ている。マチスのためにみごとに考えだされた野獣(フォヴ)派という名は、印象派の眼にとっての野蛮人の意を充分に言い現している。マチスは自由のシンボルである。わたしはあのフランス的自由のことを、ほかのいかなるものにも似ていないフランス的自由のことを言いたいのだ。
こういうわたしの夢想についてマチスが言いそうなことを、わたしは想像してみる。「それじや、ここにいるわたしはいまもネルヴィアン人なのかね?」この民族のきわだった特徴は馬にたいする恐怖であった。これこそが、ほかのゴール族からネルヴィアン人を区別するものだ。わたしはマチスに、馬についてどう考えるか尋ねてみなければなるまい。じじつ、わたしはマチスの画のなかにもデッサンのなかにも、馬を見たことは一度もない。
(『美術の教室』37号 1988年)
アラゴン『小説アンリ・マチス』について──マチスのルーツとひろがり──
大島博光
アンリ・マチスは、1869年12月31日、ベルギーに隣接した北仏ノール県・カンブレーのカトオで生まれた。ノール県の西隣のアルデンヌ県・シャルルヴィルは詩人アルチュール・ランボオの生地である。
そこでランボオを愛するアラゴンは、有名なランボオの散文詩の一節を引用しながら、マチスのルーツをさぐる。それは一見、画家マチスの生成にはあまりかかわりがないように見えるが、偉大な画家としての人間マチスの全体像を描くには、やはり必要な肉付けとなろう。アラゴンのテクストに移ろう。
画家マチスの三つの側面
マチスのなかにヨーロッパ人を見るというのは、言いすぎか、あるいは言い足りないかである。彼の教養は、生まれたフランドルのはるか彼方にひろがり、彼が目の前にして生きているこの地中海を越える。タヒチ、アラブ世界、中部アジアのアルカイクの古い文明、これらのすべてが彼には好ましいもので、あの認識するという癒しがたい不思議な飢えがそこでみたされたのである。彼の鳥小屋には全世界の鳥たちがいる。
それとともに、忘れられないのは、マチスがフランス人だということだ。ノール出のフランス人であり、フランスの多様性をなすすべてのものをみごとに統一することを知っている、あの人びとのひとりである。カンブレーの男、フランスの画家、世界の市民。ときほぐすべき主題(テーマ) である。
おれは祖先のゴール人から受けついだ……
おれは祖先のゴール人から受けついだ、白みがかった青い眼を、偏狭な脳味噌を、そして不器用な喧嘩っぷりを。おれの着ているものも彼らのと同様に野蛮だ。しかしおれは、髪にバターなどを塗りはしない。
(アルチュール・ランボオ『地獄の季節』)
カンブレーの男。……ノールは、ケルンからパリへ通ずる大道が通る国だ。侵略の大道だ。人びとは数世紀のあいだ、あらゆる旗が自分の国を通るのを見た。彼らはそれに手を出したり、なすままにまかせたりすることを学んだ。
マチスはあの青い眼をどこからうけついだのか。それはケルトの眼だとわたしは考えたい。マチスはきわめて遠い祖先に似ているのだ。カンブレーの国を占領して、商人とゲルマンの二種類の人間たちの入国を禁じた、あのネルヴィアン人に似ているのだ。(訳注・ネルヴィアン人はケルト族に属する北方のゴール民族)彼らは、ゴールのもっとも優秀な歩兵だった。御しがたい連中で、ローマ人でさえ彼らに「自由民」の資格を認めざるをえなかった。シーザーは彼らの独立不覇の精神と勇気について語っている。彼らは野蛮人とみなされた。しかし、侵略者に屈服しない人民はつねに侵略者の眼には野蛮人なのだ。その点はまったくよく似ている。マチスのためにみごとに考えだされた野獣(フォヴ)派という名は、印象派の眼にとっての野蛮人の意を充分に言い現している。マチスは自由のシンボルである。わたしはあのフランス的自由のことを、ほかのいかなるものにも似ていないフランス的自由のことを言いたいのだ。
こういうわたしの夢想についてマチスが言いそうなことを、わたしは想像してみる。「それじや、ここにいるわたしはいまもネルヴィアン人なのかね?」この民族のきわだった特徴は馬にたいする恐怖であった。これこそが、ほかのゴール族からネルヴィアン人を区別するものだ。わたしはマチスに、馬についてどう考えるか尋ねてみなければなるまい。じじつ、わたしはマチスの画のなかにもデッサンのなかにも、馬を見たことは一度もない。
注・指摘すべきことは、アルデンヌには、少なくともサンブル河とムーズ河のあいだには, ネルヴィアン人たちが住んでいた。したがって、ランボオはマチス同様にネルヴィアン人とみなさなければならない。
(つづく)(『美術の教室』37号 1988年)
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