ランスの微笑み
同じような発見をもう一つ、わたしはランスのカテドラルで経験した。シャルルヴィル・メジェールからパリに帰える途中、わたしはランスで下車してこの有名なカテドラルを訪ねて行った。さっきのアラゴンの国めぐりの詩『涙より美しいもの』のなかには、つぎのような一節がある。
おん身のみごとな唇に浮かべたランスの微笑みは
処刑されてゆく聖者や予言者たちが最後に見た
とある夕ぐれの 夕焼けの色にも似ており
髪には シャンパーニュの葡萄を絞(しぼ)る匂いがしている
この「おん身」とは、むろん祖国フランスを擬人化して、こう呼んでいるのである。このくだりを訳したとき、わたしは、カテドラルそのものが微笑みのように美しいのだろうぐらいに思っていた。
ランスの駅に降り立って、まずわたしは感嘆した。駅前広場の向うに鬱蒼と茂ったノワゼッチェ(はしばみ)の森林公園が横たわり、何本かの通りがこの森のなかを、放射線状に、市内に向かって伸びているのである。駅への往復は、いやでもおうでも、このはしばみ(ノワゼッチェ)の緑のトンネルのなかを通ることになる。なんという優雅さであろう…… 左手の大通りをしばらく行って、右に折れると、小さな広場を前に、ランスのカテドラルはさりげなく立っていた。さりげなくというのは、あたりに門前町らしい雰囲気もなく、観光客もわたしたちのほかにはほとんど見あたらないのである。広場に面した町角はカフェテラスになっていて、市民たちが挨拶を交わしたり、コーヒーやビールを飲みながら歓談していて、ちょっとした町の社交場ともなっているらしい。そこからはカテドラルを仰ぎ見る格好になる。カテドラルは夏の西陽のなかに淡いクリーム色に映えて、西にむかって、高く、やさしく立っていた。十三世紀に建てられたカテドラルは、たび重なる戦争の砲弾で傷ついたり焼かれたりし、ドイツ兵たちが聖堂のなかで焚き火をしたりしたという。長い時間と歴史をくぐり抜けた、その台石の角はもうぼろぼろと崩れて丸くなっていた。そしてわたしの驚いたことに、正面左側の入り口の壁面に、多くの聖者像とならんで、「ランスの微笑み」が立っていたのである。精確にいえば、「微笑みの天使」とよばれる、これももうぼろぼろと剥げ落ちて、背中にせおった翼も傷(いた)んだ石の彫像が、まるでとろけるような、やさしい甘い微笑みを浮かべて立っていたのだ。
それはあたりにならんだ、暗い、きびしい表情をした聖者像のなかにあって、暗い中世から近世へと微笑みかけているようにさえ見えた。そしてこの「微笑みの天使」は、中世彫刻の一典型として、美術愛好者のあいだでは極めて有名なものだったのである。それらのことを、わたしはランスに来て、カテドラルの正面入口(ファサード)に立っているこの彫刻を見て、ようやく知ったのであった。そしてもう一度、「おん身のみごとな唇に浮かぶ ランスの微笑みは……」と口ずさんで見ると、わたしの初めの解釈は、無知によるものとはいえ滑稽というほかはない。そうしてここでも、アラゴンのこの詩句が、けっして比喩や象徴ではなく、現実の具象的なもの──「微笑みの天使」像にむすびついており、そうしてフランスの歴史的現実にむすびついていることを知るのである。
カテドラルの内部の壁には、もう色褪せて、そのうえすすけたような感じを与える、大きなタピスリイ(壁掛)が何枚となく、かけてあって、そこに描かれているというか、縫いこまれている聖画はよくわからないながら、わたしはその巨大さに圧倒された。
カテドラルからの帰り道、はからずもシャペル・フジタの前に出た。これはフジタ・ツグジが壁画を描いた教会であり、またかれの葬式は、さっきのカテドラルでとり行われたという。時刻がもう遅くて、シャペルのなかを見ることはできなかった。シャペルの屋根のうえに立った風見鶏が、夕ぐれのうすらやみのなかに印象的だった……
(おわり)
(自筆原稿「詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行」)
*詩「ランスの微笑み」
同じような発見をもう一つ、わたしはランスのカテドラルで経験した。シャルルヴィル・メジェールからパリに帰える途中、わたしはランスで下車してこの有名なカテドラルを訪ねて行った。さっきのアラゴンの国めぐりの詩『涙より美しいもの』のなかには、つぎのような一節がある。
おん身のみごとな唇に浮かべたランスの微笑みは
処刑されてゆく聖者や予言者たちが最後に見た
とある夕ぐれの 夕焼けの色にも似ており
髪には シャンパーニュの葡萄を絞(しぼ)る匂いがしている
この「おん身」とは、むろん祖国フランスを擬人化して、こう呼んでいるのである。このくだりを訳したとき、わたしは、カテドラルそのものが微笑みのように美しいのだろうぐらいに思っていた。
ランスの駅に降り立って、まずわたしは感嘆した。駅前広場の向うに鬱蒼と茂ったノワゼッチェ(はしばみ)の森林公園が横たわり、何本かの通りがこの森のなかを、放射線状に、市内に向かって伸びているのである。駅への往復は、いやでもおうでも、このはしばみ(ノワゼッチェ)の緑のトンネルのなかを通ることになる。なんという優雅さであろう…… 左手の大通りをしばらく行って、右に折れると、小さな広場を前に、ランスのカテドラルはさりげなく立っていた。さりげなくというのは、あたりに門前町らしい雰囲気もなく、観光客もわたしたちのほかにはほとんど見あたらないのである。広場に面した町角はカフェテラスになっていて、市民たちが挨拶を交わしたり、コーヒーやビールを飲みながら歓談していて、ちょっとした町の社交場ともなっているらしい。そこからはカテドラルを仰ぎ見る格好になる。カテドラルは夏の西陽のなかに淡いクリーム色に映えて、西にむかって、高く、やさしく立っていた。十三世紀に建てられたカテドラルは、たび重なる戦争の砲弾で傷ついたり焼かれたりし、ドイツ兵たちが聖堂のなかで焚き火をしたりしたという。長い時間と歴史をくぐり抜けた、その台石の角はもうぼろぼろと崩れて丸くなっていた。そしてわたしの驚いたことに、正面左側の入り口の壁面に、多くの聖者像とならんで、「ランスの微笑み」が立っていたのである。精確にいえば、「微笑みの天使」とよばれる、これももうぼろぼろと剥げ落ちて、背中にせおった翼も傷(いた)んだ石の彫像が、まるでとろけるような、やさしい甘い微笑みを浮かべて立っていたのだ。
それはあたりにならんだ、暗い、きびしい表情をした聖者像のなかにあって、暗い中世から近世へと微笑みかけているようにさえ見えた。そしてこの「微笑みの天使」は、中世彫刻の一典型として、美術愛好者のあいだでは極めて有名なものだったのである。それらのことを、わたしはランスに来て、カテドラルの正面入口(ファサード)に立っているこの彫刻を見て、ようやく知ったのであった。そしてもう一度、「おん身のみごとな唇に浮かぶ ランスの微笑みは……」と口ずさんで見ると、わたしの初めの解釈は、無知によるものとはいえ滑稽というほかはない。そうしてここでも、アラゴンのこの詩句が、けっして比喩や象徴ではなく、現実の具象的なもの──「微笑みの天使」像にむすびついており、そうしてフランスの歴史的現実にむすびついていることを知るのである。
カテドラルの内部の壁には、もう色褪せて、そのうえすすけたような感じを与える、大きなタピスリイ(壁掛)が何枚となく、かけてあって、そこに描かれているというか、縫いこまれている聖画はよくわからないながら、わたしはその巨大さに圧倒された。
カテドラルからの帰り道、はからずもシャペル・フジタの前に出た。これはフジタ・ツグジが壁画を描いた教会であり、またかれの葬式は、さっきのカテドラルでとり行われたという。時刻がもう遅くて、シャペルのなかを見ることはできなかった。シャペルの屋根のうえに立った風見鶏が、夕ぐれのうすらやみのなかに印象的だった……
(おわり)
(自筆原稿「詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行」)
*詩「ランスの微笑み」
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