エイモンの四人息子
ところで、ランボオ博物館で買った風景の絵はがきの一枚に「エイモンの四人息子」という名がついているのを発見して、わたしははっと驚いた。アラゴンの詩の一節を思い出したからである。
嵐は ダンケルクからポール・バンドルへと荒れ狂い
おれたちの愛するすべての
声を かき消してしまうのか
いや 誰にもできぬはずだ 伝説を追いちらし
エイモンの四人息子から アルデンヌの地を奪いとることは
(飯塚書店版『アラゴン選集』第一巻二五一ページ)
これは、アラゴンの抵抗詩集『エルザの眼』のなかの『涙よりも美しいもの』という詩の一節である。一九四一年、アラゴンの旧友であり、いまは対独協力者となっていたドリュ・ラ・ロシェルは、ある右翼の機関紙上で、アラゴンを攻撃する。
「……アラゴンが、レジスタンスとその強化のためにふりまいているあの悲憤梗概、祖国の尊厳に注いでいるあの感涙、あの片言の呼びかけなどは、排他的かつ熱狂的な讃美でフランスをほめたたえているかに見えても、けっしてフランスに奉仕するものではない。……この邪悪な偽作者は、あらゆる価値を変質させて、横取りしてしまい、それを、自分の猿まねの贋金(にせがね)につくり変え、ロシヤ狂(きちが)いでロシヤ贔屓(びいき)の贋金につくり変え、頑迷な国際主義の贋金につくり変えてしまう。彼にとっては、「わが祖国よ」というトレモロも、文学的弥次馬どもがよく使ういんちきなトリックに過ぎない」
この罵倒にたいして、アラゴンは『涙よりも美しいもの』を書いて、それに答えたのである。
この詩は、フランスにたいする詩人の祖国愛をあかしだてるために、フランスの国巡(くにめぐ)りをして,地方地方の美しさや、歴史や歴史的人物をうたい描いている。一九四三年の初めには、ド・ゴール将軍もアルジェ放送を通じて、この詩の数行を朗読したのであった。そして、「エイモンの四人息子」というのは、アルデンヌ王の四人息子で、かれらは名馬バイヤールにまたがってシャルルマーニュと戦い、アルデンヌの地を守りぬいたという、十二世紀の武勲詩の主人公たちであり、アラゴンはこの故事を引用して、そこに祖国解放の呼びかけを託したのである。
ところで、この絵はがきに写っている風景はといえば、なんのことはない、博物館のすぐ裏手を流れているムーズ河を前景として、その向こう岸に、長くこんもりと横たわっている丘を背景とした、見るからに美しい眺めである。丘は鬱蒼とした森におおわれていて、むかしはこの森のなかに、例のカスミ網やワナなどがしかけられたのにちがいない……博物館のすぐ上手に橋がかかっていて、向こう岸の丘で夏休みのキャンプ生活を楽しんできたらしい若者たちの一群が、リュクサックをせおって通り過ぎて行った……おそらく、このムーズ河の向う岸の大きな丘が、いまでも「エイモンの四人息子」と呼ばれているのであろう。とにかく、そう名づけられた風景をまのあたりに見ると、あのアラゴンの詩の一節が、たんなる修辞的な引用や比喩ではなく、このような現実の地理と伝説にむすびついているのに、むしろ驚くのである。
(つづく)
(自筆原稿「詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行」)
ところで、ランボオ博物館で買った風景の絵はがきの一枚に「エイモンの四人息子」という名がついているのを発見して、わたしははっと驚いた。アラゴンの詩の一節を思い出したからである。
嵐は ダンケルクからポール・バンドルへと荒れ狂い
おれたちの愛するすべての
声を かき消してしまうのか
いや 誰にもできぬはずだ 伝説を追いちらし
エイモンの四人息子から アルデンヌの地を奪いとることは
(飯塚書店版『アラゴン選集』第一巻二五一ページ)
これは、アラゴンの抵抗詩集『エルザの眼』のなかの『涙よりも美しいもの』という詩の一節である。一九四一年、アラゴンの旧友であり、いまは対独協力者となっていたドリュ・ラ・ロシェルは、ある右翼の機関紙上で、アラゴンを攻撃する。
「……アラゴンが、レジスタンスとその強化のためにふりまいているあの悲憤梗概、祖国の尊厳に注いでいるあの感涙、あの片言の呼びかけなどは、排他的かつ熱狂的な讃美でフランスをほめたたえているかに見えても、けっしてフランスに奉仕するものではない。……この邪悪な偽作者は、あらゆる価値を変質させて、横取りしてしまい、それを、自分の猿まねの贋金(にせがね)につくり変え、ロシヤ狂(きちが)いでロシヤ贔屓(びいき)の贋金につくり変え、頑迷な国際主義の贋金につくり変えてしまう。彼にとっては、「わが祖国よ」というトレモロも、文学的弥次馬どもがよく使ういんちきなトリックに過ぎない」
この罵倒にたいして、アラゴンは『涙よりも美しいもの』を書いて、それに答えたのである。
この詩は、フランスにたいする詩人の祖国愛をあかしだてるために、フランスの国巡(くにめぐ)りをして,地方地方の美しさや、歴史や歴史的人物をうたい描いている。一九四三年の初めには、ド・ゴール将軍もアルジェ放送を通じて、この詩の数行を朗読したのであった。そして、「エイモンの四人息子」というのは、アルデンヌ王の四人息子で、かれらは名馬バイヤールにまたがってシャルルマーニュと戦い、アルデンヌの地を守りぬいたという、十二世紀の武勲詩の主人公たちであり、アラゴンはこの故事を引用して、そこに祖国解放の呼びかけを託したのである。
ところで、この絵はがきに写っている風景はといえば、なんのことはない、博物館のすぐ裏手を流れているムーズ河を前景として、その向こう岸に、長くこんもりと横たわっている丘を背景とした、見るからに美しい眺めである。丘は鬱蒼とした森におおわれていて、むかしはこの森のなかに、例のカスミ網やワナなどがしかけられたのにちがいない……博物館のすぐ上手に橋がかかっていて、向こう岸の丘で夏休みのキャンプ生活を楽しんできたらしい若者たちの一群が、リュクサックをせおって通り過ぎて行った……おそらく、このムーズ河の向う岸の大きな丘が、いまでも「エイモンの四人息子」と呼ばれているのであろう。とにかく、そう名づけられた風景をまのあたりに見ると、あのアラゴンの詩の一節が、たんなる修辞的な引用や比喩ではなく、このような現実の地理と伝説にむすびついているのに、むしろ驚くのである。
(つづく)
(自筆原稿「詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行」)
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