この詩のとおり、木立やベゴニヤの花壇などでこぎれいな公園をつっきろうとすると、かたわらのベンチで休んでいた若い女と老婆が立ち上ってきて、「東洋(ロリヤン)からきたのか」とたずねる。「日本人だ」と答えると、両手にもった杖で身を支えていた老婆が「わたしも日本人です」という。そういわれてみれば、小柄な顔だちに日本人らしいところもなくはないが、尖ったワシ鼻や身ぶりなど、とても日本人とは見わけがつかない。聞けば、出身は東京で、イトオ・ヒロという名前で、娘がルージレールとかいう提督の息子と結婚したので、いっしょについてきて、この町に住みついてしまったのだという。もう九十歳になるとも言った。老婆は思いがけぬ日本人にめぐり会ったなつかしさを、小さなからだいっぱいに表現していた。逆にいえば、遠い異国にただひとり残された者の、それは口では言いあらわしえない孤独と寂寥をのぞかせていた……わたしもまたランボオの故郷で、帰化した日本婦人に出会おうとは夢にも思わなかった。
(つづく)
(自筆原稿「詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行」)
(つづく)
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