ベルガモ記
イタリー側の村に降りたところで、アオスタ行きのバスを待っていたわたしたちは、外国婦人と連れだった、日本の青年T君にめぐり会った。ミラノ近くのベルガモの町まで車で帰るところだから、いっしょに乗せて行ってくれるという。T君の親切のおかげで、わたしたちはフォルクスワーゲンに乗ってアルプスのイタリー側の谷間──アオスタの谷間をくだることになった。
クルマを運転するのはT君の奥さんでスイス婦人のコリエンさんである。T君夫妻ははためにも仲むつまじく、スペイン語で話しあっている。T君はスペインのバルセロナで、建築関係の仕事についていて、いまバカンスで、コリエンさんの両親の住んでいるベルガモの町に来ているのだという。
車はアオスタの谷間を疾走する。モン・ブラン山塊がとてつもなくスケールが大きいだけあって、この谷間もひろく大きい。舗装した道路が、ゆるやかな傾斜で、谷のまんなかを、ロンバルディア平原めざして伸びている。ときおり、アルプスの雪どけ水をはこぶ、水量のゆたかなバルテオ川が見える。モン・ブランに通ずるこの幹線道路が、ほとんどがらがらである。観光バスや貸切バス、自家用車などで数珠つなぎに埋まっている日本アルプスの幹線道路をわたしは思い出した。ときたま先行するトラックなどを追い越して、車は快適に走る。谷の両側からせり出した小高い丘というか、尾根尻とでもいうか、そういうところには、中世のものらしい古い城趾が立っている。もう崩れさって、塔だけがわずかに残っているものもあれば、まだみごとな城砦の姿をとどめているものもある。国はちがうが、ウイリアム・テルの物語などがおのずと思い浮んでくる。
(自筆原稿 1974年頃)
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