さらに、そのフェンテ・ヴァケーロス村の白い砂地のひろい広場で、一九七六年六月五日、ロルカ生誕七十八周年記念集会が、六○○○人の参加者たちによって、ひらかれたのであった。この集会は、官憲の監視のもとに、三○分だけ許され、それ以上は一分たりとも超過してはならなかったといわれる。この集会でロルカの詩が朗読され、アルベルティの「歳月は過ぎ去らなかった」が朗読された。その一部分をここに掲げておこう。
……
「フェデリコと 叫ぶ声がおれに聞こえる
屋根のうえから フェデリコ
庭のなかから フェデリコ
崩れ落ちた塔から フェデリコ
消えた泉から フェデリコ
凍(い)てつく山から フェデリコ
暗い川から フェデリコ
掘り返えされた大地から フェデリコ」
──なんだ なにが起きたのだ?
──なんでもないさ
──そんな風に騒がずにそっとしといてくれ
──よし わかった
心臓はひとりぼっちで この世から出て行った
──ああ ああ かわいそうなおれ! フェデリコ!
彼は いまもまだ立っている
ひとは いまも 彼について
語ることができる
平然とした 彼の顔を描くことができる
彼の葬式の 倒れて硬くなった 大理石の顔を
なぜなら 彼はずっと あそこに
血の海のなかに 漬(つか)りつづけ
あそこに 根をおろしているからだ
彼は 血にまみれた鏡の水銀に面と向かい
自分の詩のなかの自分を見つめ
自分の哀れなスペインを
蛆虫どもに食い荒された
死んだスペインを 見守っているからだ
カルロ・クァトラッチが* ローマで彼を描いた
画家は そのように彼を描くことができた
なぜなら 三〇年後のいまも
歳月は過ぎ去らなかったからだ
そうだ 歳月は過ぎ去らなかったのだ
*訳注 この詩は、画家カルロ・クァトラッチの挿画入りで発表された。
この詩が六○○○人の聴衆のまえで朗読された集会をおもいみて、わたしはひろい広場にしばし立ちつくしていた……。
(つづく)
(『詩人会議』 1979年4月)
……
「フェデリコと 叫ぶ声がおれに聞こえる
屋根のうえから フェデリコ
庭のなかから フェデリコ
崩れ落ちた塔から フェデリコ
消えた泉から フェデリコ
凍(い)てつく山から フェデリコ
暗い川から フェデリコ
掘り返えされた大地から フェデリコ」
──なんだ なにが起きたのだ?
──なんでもないさ
──そんな風に騒がずにそっとしといてくれ
──よし わかった
心臓はひとりぼっちで この世から出て行った
──ああ ああ かわいそうなおれ! フェデリコ!
彼は いまもまだ立っている
ひとは いまも 彼について
語ることができる
平然とした 彼の顔を描くことができる
彼の葬式の 倒れて硬くなった 大理石の顔を
なぜなら 彼はずっと あそこに
血の海のなかに 漬(つか)りつづけ
あそこに 根をおろしているからだ
彼は 血にまみれた鏡の水銀に面と向かい
自分の詩のなかの自分を見つめ
自分の哀れなスペインを
蛆虫どもに食い荒された
死んだスペインを 見守っているからだ
カルロ・クァトラッチが* ローマで彼を描いた
画家は そのように彼を描くことができた
なぜなら 三〇年後のいまも
歳月は過ぎ去らなかったからだ
そうだ 歳月は過ぎ去らなかったのだ
*訳注 この詩は、画家カルロ・クァトラッチの挿画入りで発表された。
この詩が六○○○人の聴衆のまえで朗読された集会をおもいみて、わたしはひろい広場にしばし立ちつくしていた……。
(つづく)
(『詩人会議』 1979年4月)
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