グラナダ紀行(4)犯罪はグラナダで行われた

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 犯罪はグラナダで行われた

 ところで、この自由で甘美な詩人は、周知のように、一九三六年八月十九日、フランコ一派のファシストたちによって、このグラナダ郊外、ビスナルのオリーブ畑で銃殺されたのだった。その一カ月前、スペイン共和国に襲いかかったフランコ・ファシストは、まるでその出撃の合図ででもあるかのように、いち早くロルカを血祭りにあげた。なによりもロルカの自由の精神が、ファシストたちの怒りと憎しみを買ったのである。先輩老詩人アントニオ・マチャドは、いち早くロルカの死を詩に書いた。この詩は数年前すでに「文化評論」に発表されたが、もう一度ここに引用しておこう。

    犯罪はグラナダで行われた
                        アントニオ・マチャド

  かれは銃にかこまれ/長い道を とぼとぼと歩き
  まだ 星の残っている朝まだき/寒い野っ原に 姿を現わした
  やつらは フェデリコを殺した/そのとき 朝日が昇った
  死刑執行人(ひとごろし)の一隊は/かれをまともに見ることができなかった
  やつらは みんな眼を閉じて祈った/──神さえも救えはしない!
  かれ フェデリコは倒れ死んだ/──額から血を流し 腹に鉛をぶち込まれて
  虐殺は グラナダで行われた/知ってるか──哀れなグラナダよ
  フェデリコのグラナダよ

  ……/とぼとぼと歩いてゆく二人の姿が見えた

  友よ わたしのために建ててくれ /石と夢の墓を──詩人のために
  アランブラの/すすり泣く 泉のほとりに/そうして 永遠に伝えてくれ
  虐殺は グラナダで行われた と/かれのふるさと グラナダで行われた と

 はじめてこの詩を訳したとき、わたしはまだアランブラ宮殿のことはよく知らなかった。そのアランブラを見てみると、「アランブラの/すすり泣く泉のほとりに」という詩句が、遠いむかしの悲劇と現代のそれとを結びつけて、言いようもなく美しく適切なものに思えるのであった。
(つづく)

(『詩人会議』 1979年4月)

アランブラ

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