グラナダ紀行(1)アランブラ宮殿

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グラナダ紀行
                     大島博光
アランブラ宮殿

 さる十一月上旬、マドリッドでひらかれたチリ連帯国際会議に出席した帰途、南スペインのグラナダを訪れた。
 グラナダ……それは、重い、深いひびきをもつ名まえだ。アランブラ宮殿が、繊細優雅なアラブ文化・芸術の粋をいまにつたえると同時に、アラブ王国が滅びさった悲劇をそこに秘めているからである。そしてまた、それは、フェデリコ・ガルシア・ロルカの町であり、しかもかれがそこで銃殺された町である……
 わたしたちはマドリッドを夜の急行で発ったが、急行とは名ばかりの超鈍行列車で、そのうえがたがたと横ゆれがひどい。出発のときは気笛らしいものが、ヒーヒーと鳴って、まるで騾馬の啼き声を思わせる。するとまたわたしには、それがドン・キホーテのお供のサンチョ・パンサの騾馬のように思われてくる……つまり、わたしたちは、のろいサンチョの騾馬に乗って、荒涼として広いカスチリヤの野を、アンダルシヤへと向って、のろのろと走っているのだ……
 翌朝やっとグラナダに着く。駅のカフェテリヤで、ミルク・コーヒー二杯とハム・サンドを食べたが、うまかった。それから、間島さんがかねて目星をつけておいた、ホテル・グワデルーペにタクシーをとばした。街なかに大きな噴水や銅像があり、古い城門をくぐると、鬱蒼と樹木の茂った坂道になる。幾台もの観光バスが走っている。そこがアランブラの宮殿の前庭ということになる。いくつかのホテルを通り越して、最後のホテルがグワデルーペであった。近くに、「アルハンブラ物語」を書いたアメリカ人ワシントン・アーヴィングの名をとったホテルもあった。(「アルハンブラ物語」は江間章子さんの訳で、講談社文庫に収められている。) 通された四階の部屋は、たいへんわたしの気に入った。窓べに、ポプラ林が黄色い葉むれを輝かせていた。その枝越しに、向うは、低い松の点在する小さな低い山になっている。ホテルに鞄をおくと、さっそくアランブラ宮殿へ向うが、ホテルから五百メートルぐらいしかない。道の片側には、赤煉瓦のぶ厚い城壁がそそり立って、つづいており、片側は亭ていとそびえた森になっていて、ポプラや銀杏のたぐいが、黄色くなった葉むれを秋の陽に輝かせている。かねて写真で見た、「獅子の中庭」や「太子の間」などの前に立ってみると、つまり、太陽のひかりのもとにあるそれらを見るとますます夢まぼろしのなかにいるような想いになる。水盤をささえている石の獅子たちの鼻が、永い時の流れのなかで、もう擦りもげている。「コーラン」をモザイクできざみこんであるという大理石の壁面、みごとなアーケードと噴水をあしらった中庭の組み合わせ、すべてが繊細優雅で変幻自在な結構である。また、美女たちがその裸形をさらしたであろう大浴場のうちの「アベンセラーへスの間」には、血なまぐさい物語が伝えられている。ムレイ・アビュル・ハッサンという王は、お気に入りの愛妄ソラヤの子に王位をつがせるために、最初の王妃との間に生れた自分の子供たちをみんな、この部屋で暗殺させたというのである……。
(つづく)

(『詩人会議』 1979年4月)

アルハンブラ
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