チリ支援世界会議の思い出

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チリ支援世界会議の思い出



国際会議
チリ支援世界会議にて、左から間島三樹夫、大島博光、ベトナム代表。1978年11月 マドリード



 チリ支援世界会議の思い出
                      大島博光

 こんどチリ連が解散することになったが、十六年間も活動をつづけてきたチリ連の活動家のみなさんに敬意をささげたい。数年前パレスチナの解放と支援を訴えにきたパレスチナの活動家が、チリ連の存在と活動を知って、ひじょうにうらやましがったという話をきいたことがある。

 わたしがチリ連にかかわったのは、いまは亡き間島三樹夫さんの誘いによるもので、私がネルーダの詩を訳したり伝記をかいていたからであろう。思えばネルーダの存在はチリ連の活動にとっても大きなよすがとなり媒介となり、意義づけともなった。ほとんど毎年のように、ネルーダ生誕記念集会がチリ連によって組織されて、かなりの成功を収めたように記憶している。

 さて、そのなかでわたしの思い出に深いのは、一九七八年十一月にマドリードでひらかれたチリ支援世界会議に、間島さんと二人で参加したことである。間島さんは、チリ連の活動=ピノチェト来日反対のデモとか、横浜港におけるチリ貨物船入港反対とか、いろいろな場面の写真パネルをいっぱい詰めこんだ重いトランクを持って参加した。会場はマドリード・コンヴェンション・ホテルの地下大ホールだった。それらの写真パネルは、さっそく会場の廊下に飾られて世界じゅうからやってきた代議員たちの注目を浴びた。それは日本チリ連の存在と活動を印象づけたことであろう。わたしはつぎのような詩を書いた。

ゴヤの光と闇が いまも生きている市(まち)マドリード
ネルーダが、最初の血の叫びをあけた市(まち)マドリード
ふたたび世界じゅうからひとびとがやってくる
どんな距離をも越える 熱い連帯をいだいて

そこにコルバランがいる アジェンデ夫人がいる
ピカソ夫人がいる ピクトル・ハラ未亡人がいる

詩人アルベルティがいる エフトシェンコがいる
ニカラグアの婦人代表がいる ベトナムがいる…

血塗られたチリ人民への連帯とあいさつと
ファシズムヘの怒りが、場内に熱くみなぎる…

 (「チリ人民連帯ニュース」一九九一年四月)
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