『とりとめのない放浪』──(2)アラゴンの返歌とスターリン問題

ここでは、「『とりとめのない放浪』──(2)アラゴンの返歌とスターリン問題」 に関する記事を紹介しています。


わたしがつぶやく


 ところで一九六五年の春、チリ大地震によってヴァルパライソにあったネルーダの家「ラ・セバスティアナ」が崩壊した。これを機会にアラゴンは「パプロ・ネルーダへの悲歌』を書き、そのなかでこの「怠け者」にたいして「わたしがつぶやく」という返歌を書いている。

 わが友パブロよ きみはあの心うずかせる言葉で語った
   おのずからなる奇妙な言葉で
 「あるのはただ苦しみの世界 血まみれの世界ばかり
   どんなに遠く行っても なんにも変わりはしない」と

 さんざしの刺(とげ)のように 苦い痛みの叫びをあげさせる
   あの苦しみを わたしもなめつくした
 すべての言葉 すべての叫び すべての足跡に過ちがあり
   そこに魂は ふとおのれの姿をみいだすのだ

 わが友パブロよ われらはこのあやふやな世紀の人間だ
   屋根組をしっかり支えるものとては 何もない
 空の高みに 白みかけた朝を見たと思ったら
   それは 遠くの自動車(くるま)のへッドライトなのだ

 われらは 太陽をふところにいれて歩く夜の人間だ
   太陽は われらの身の奥でわれらを焼くのだ
 もう闇のなかを おのれの膝も分からぬほど歩いたのに
   来たるべき世界にはまだ たどりつけぬ

 ほんとに こんな酷(むご)い風景に甘んじていられるのだろうか
   生とは せいぜい生き永らえることらしく
 われらは せいぜい黄金だと思って銅を歌った
   魔法を失った魔法使いででもあったのか

 アラゴンのこの「つぶやき」には、絶望的な調子、幻滅、苦渋、嘆きがみち溢れている。アラゴン自身がこの詩についてこう書いている。
 「一九六五年の春、チリを襲った大地震は太平洋岸のネルーダの家を破壊した……その機会にアラゴンはその友人に語りかけ、チリの詩人の詩に彼じしんの詩をまぜ合わせた……そのとき、作者は苦にがしい嘆きをぶちまけずにはいられなかった。その嘆きによって、詩人たちを裏切った大地そのものが告発されたのだ……こうして作者ともうひとりの詩人とのあいだの嘆きの詩が、分かちあった苦(にが)い果実のように出来あがった……」
 「詩人たちを裏切った大地……」という表現は、一九五六年二月のソヴェト共産党第二○回大会におけるフルシチョフの「スターリン批判」によって始まった非スターリン化の状況、その中での共産党員知識人・芸術家の苦悩、絶望、自己批判、再出発などの精神的状況を指さしている。むろんネルーダもまたこの悲劇的な状況のなかに投げこまれたのだった。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

夕空

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/3429-4c22cf2c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック