4)「苦しみの武器」
一九四二年四月、十七歳の高校生リュシアン・ルグロは、ビュッフォン高校のデモに参加して逮捕された。リュシアンはエリュアールの旧友の長男だった。六月、彼はヴィシイの法廷によって終身労働刑を宣告された後、ゲシュタポに引渡された。ゲシュタポは彼に肉体的にも精神的にも拷問を加える。エリュアールは書く。
「なんとドイツは寛大だったことか。ゲーリングは彼に特赦を与えた……そしてなんとドイツは冷酷だったことか。おなじゲーリングが数日後に彼を人質として処刑したのである……彼は四人の級友とともにイヴリに葬られた……」
数ヶ月後、エリュアールは銃殺されたこの少年を記念して「苦しみの武器」と題する一連の 詩を書く。
あの子は嘘をつくことも
そして助かることもできたろう
越えられぬ柔かい平野
あの子は嘘をつくことを好まなかった
彼は声高く自分の罪を叫んだ
彼は自分の真実を述べたてた
真実を
死刑執行人にむけて剣のように
自分の最高の法を剣のように
そこで死刑執行人どもは復讐した
やつらは並べてみせた
死 希望 死 希望 死と
やつらは彼に特赦を与えてそれから殺した
やつらはあの子をひどい目に会わせた
彼の足 彼の手は踏みつぶされていた
墓地の番人がそう言った
(つづく)
(新日本新書『エリュアール』)
一九四二年四月、十七歳の高校生リュシアン・ルグロは、ビュッフォン高校のデモに参加して逮捕された。リュシアンはエリュアールの旧友の長男だった。六月、彼はヴィシイの法廷によって終身労働刑を宣告された後、ゲシュタポに引渡された。ゲシュタポは彼に肉体的にも精神的にも拷問を加える。エリュアールは書く。
「なんとドイツは寛大だったことか。ゲーリングは彼に特赦を与えた……そしてなんとドイツは冷酷だったことか。おなじゲーリングが数日後に彼を人質として処刑したのである……彼は四人の級友とともにイヴリに葬られた……」
数ヶ月後、エリュアールは銃殺されたこの少年を記念して「苦しみの武器」と題する一連の 詩を書く。
あの子は嘘をつくことも
そして助かることもできたろう
越えられぬ柔かい平野
あの子は嘘をつくことを好まなかった
彼は声高く自分の罪を叫んだ
彼は自分の真実を述べたてた
真実を
死刑執行人にむけて剣のように
自分の最高の法を剣のように
そこで死刑執行人どもは復讐した
やつらは並べてみせた
死 希望 死 希望 死と
やつらは彼に特赦を与えてそれから殺した
やつらはあの子をひどい目に会わせた
彼の足 彼の手は踏みつぶされていた
墓地の番人がそう言った
(つづく)
(新日本新書『エリュアール』)
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