ネルーダ「ムリエタの首は語る」

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ムリエタ


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子供




 ムリエタの首は語る 
                    パブロ・ネルーダ  大島博光訳

だれもおれに耳をかさないが おれはしゃべることができる
くらやみのなかの子供は 死んでしまった
なぜ おれは死んで 砂漠のなかをあてもなく
さまよいつづけなければならぬのか おれにはわからない

愛して愛して おれは悲しみにたどり着いた
闘って闘って おれはうちのめされてしまった
そしていまや テレサの両の手のなかに
おれというひとりの悪党の首は 眠るのだ

おれがぶっ倒れると おれは咽頭(のど)をかっきられ
首をきられて おれのからだはまっ二つにされた
おれは 完全犯罪のために叫ぶのではない
おれは さまようおれの愛のために抗議するだけだ

死んだ妻がおれを待っていた そしておれは
険(けわ)しい道をとおって 辿りついたのだ
死んだ妻と ひとつになるために おれはやっと
ひとを殺し自分も死にながら 辿り着いたのだ

おれはもう 血も流れさった空っぽの首に過ぎぬ
くちびるももう おれの声をきいても動かない
死者はもう 何も言ってはならないのだろう
雨や風をとおして 語りかけるほかは

だが これから霧のなかをやってくる人びとは
どのようにして ありのままの真実を知るのだろう?
同志たち おれは要求するのだ 一○○年後に
パブロ・ネルーダが おれのために歌ってくれることを

それは おれが犯した あるいは犯さなかった悪事のためではなく
また おれが守った善のためでもない 
ただ 名誉がおれの権利だったからだ
そのとき おれは持っていた唯一のものを失ったのだ

こうして 揺るぎないたしかな春のなかに
時は流れさり おれの生涯はひとに知られるだろう
それは苦(にが)にがしいものでもなくまして正義にみちたものでもなかった
おれは おれの生涯を勝ったとも負けたとも思わぬ

そして過ぎさってゆく ひとときのすべての人生のように
おれの生涯も きっと夢といりまじっていた
血の好きな残忍なやつらが おれの夢を殺した
そしておれは遺産として残すのだ おれの深傷(ふかで)を

【解說】
 この訳詩はネルーダの詩劇『ヨアヒン・ムリエタの栄光と死』の頂点をなす部分である。ネルーダはこの詩劇をチリに伝わる伝説から作った。「まえがき」は言う。
 「ヨアヒン・ムリエタの亡霊はいまもカリフォルニアをうろついている。月の夜、憎しみに燃えた馬にまたがって、ソラノ秒漢をよこぎり、メキシコのマドレの山なみに消えてゆく彼の姿が見える!……亡霊の足どりはしかしながらチリへと向かう…… ヨアヒン・ムリエタはチリ人だった……。
 彼の切り落とされた首はこのカンタータを要求した……。わたしはこの反逆者とその生涯を共にした。それゆえわたしはこの男の生の輝きと死の広大さを証言するのである」
 ムリエタは一団の部下とともに、ゴオルド・ラッシュの時代のカリフォルニアに渡って、一獲千金を夢みて懸命に働く。しかし彼らは残酷な北アメリカ人たちから弾丸と鞭の報復をうけ、ムリエタは妻のテレサとともに首を切り落とされてしまう。
 その頃、北アメリカでは人種差別からチリ人やメキシコ人は排撃され虐殺されたのだ。伝説では、切り落とされたムリエタの首は馬に乗ってチリに帰り、その怒りをぶちまけたことになっている。
 ネルーダはムリエタの伝説の真実をとおして、アメリカ大陸における圧制を告発し、一時的な 敗北を越えて、来るべき未来の闘争に立ちあがるように呼びかけているのである。
 (『狼煙』7号 1992年6月)
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