一九四二年の初め、エリュアールは非合法に追いやられていた共産党にふたたび入党する。当時、フランスでもっともきびしく追及され、弾圧されたのは共産党だった。共産党の活動家、指導者たちは特に人質とされ、まっさきに銃殺された。しかし彼は党を選んだ。彼はもう五十歳になんなんとしていた。この選択は、エリュアールの思想と反抗の論理的な到達点であった。のちに彼は述懐する。
「一九四二年の春、わたしは共産党に入党した。それはフランスの党だったから、こうしてわたしは自分の力と生涯をあげて参加した。自由、平和、幸福をめざし、真の生活をめざして前進していたわが国の人びとと、わたしはいっしょになりたかったのだ」
この「真の生活」というのは、「真の生活は欠落している」と叫んだランボオの言葉のこだまであって、エリュアールはそれに答える──われわれが望むなら、真の生活はここに、この地上に存在しうると。
エリュアールの入党は、生にたいする彼の誠実さ、自分自身にたいする誠実さの現われであった。自分の詩的追求とマルクス主義の哲学的追求とを融合させてからは、エリュアールはさらに大詩人となり、彼の世界像は大きく広くなる。
この冬、エリュアールは「罪もない」名もない犠牲者たちを想って「最後の夜」を書く。
あの人殺しのやつばらは
罪ない者へと差し向けられ
その口からパンをもぎ取り
その家に火をはなち
その服や靴を剥ぎとり
その暮らしや子供を奪いとる
あの人殺しのやつばらは
死者と生者をとり違え
泥を白くし裏切者を特赦し
言葉を騒音に変える
ありがとう夜中よ十二丁の銃が
罪ない者に平和を返す
その血まみれの肉体と暗い空を
地に埋めるのは群衆だ
そして人殺しどもの弱さを
見抜くのも群衆だ
この詩は、極度に飾りをとり去った表現、直接的な表現の力強さ、その単純さによって、ファシストの暴虐をあばき、告発する、闘いの武器となる。この詩を収めた『詩と真実一九四二年』という題名はドイツの大詩人ゲーテの「詩と真実」を意識的にもじったものである。このざら紙の小詩集はたちまちレジスタンスの愛読書となり、ベストセラーとなる。有名な詩「自由」もここに収められていた。
(つづく)
(新日本新書『エリュアール』)
「一九四二年の春、わたしは共産党に入党した。それはフランスの党だったから、こうしてわたしは自分の力と生涯をあげて参加した。自由、平和、幸福をめざし、真の生活をめざして前進していたわが国の人びとと、わたしはいっしょになりたかったのだ」
この「真の生活」というのは、「真の生活は欠落している」と叫んだランボオの言葉のこだまであって、エリュアールはそれに答える──われわれが望むなら、真の生活はここに、この地上に存在しうると。
エリュアールの入党は、生にたいする彼の誠実さ、自分自身にたいする誠実さの現われであった。自分の詩的追求とマルクス主義の哲学的追求とを融合させてからは、エリュアールはさらに大詩人となり、彼の世界像は大きく広くなる。
この冬、エリュアールは「罪もない」名もない犠牲者たちを想って「最後の夜」を書く。
あの人殺しのやつばらは
罪ない者へと差し向けられ
その口からパンをもぎ取り
その家に火をはなち
その服や靴を剥ぎとり
その暮らしや子供を奪いとる
あの人殺しのやつばらは
死者と生者をとり違え
泥を白くし裏切者を特赦し
言葉を騒音に変える
ありがとう夜中よ十二丁の銃が
罪ない者に平和を返す
その血まみれの肉体と暗い空を
地に埋めるのは群衆だ
そして人殺しどもの弱さを
見抜くのも群衆だ
この詩は、極度に飾りをとり去った表現、直接的な表現の力強さ、その単純さによって、ファシストの暴虐をあばき、告発する、闘いの武器となる。この詩を収めた『詩と真実一九四二年』という題名はドイツの大詩人ゲーテの「詩と真実」を意識的にもじったものである。このざら紙の小詩集はたちまちレジスタンスの愛読書となり、ベストセラーとなる。有名な詩「自由」もここに収められていた。
(つづく)
(新日本新書『エリュアール』)
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