ピエル・ヴィヨン『わが友、わが同志』

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 『わが友、わが同志』  ピエル・ヴィヨン(元国民戦線幹事長) 大島博光訳

 「それは一九四二年の終りか、おそらく一九四三年の初めであった。
 その頃、ある同志が国民戦線作家委員会と国民戦線指導委員会との間の連絡をとっていた。彼がわたしに言ったことに、わたしが抵抗運動の幹事長という資格だけでなく、共産党の活動家として、ポール・エリュアールに会う必要があるという。エリュアールが最後のためらいを吹っきって共産党に再入党するには、わたしが彼と話し合うだけで充分だと、その同志は信じていたのだ。
 こうしてある朝、わたしはシャペル街のエリュアールの小さなアパートの扉を叩いた。われわれがどんな話をしたか。ポールの最後のためらいがどんなものだったか。わたしは忘れてしまった。それにその頃、わたしには日記をつける暇がなかった。たとえ暇があったとしても、安全を期そうとすれば、そんな印象や出来事のメモをとるわけにはいかなかったであろう。そのようなメモが、ペタンの警察やゲシュタポの手に落ちれば、彼らに情報を与える危険があったからである。
 しかしポールの書斎の壁がいまもわたしには見える。そこにはピカソの署名のある、ポールやニュシュのデッサン像が小さな額に入ってかかっていた。ニュシュが行ったり来たりしてわれわれの会話に加わる。この最初の訪問の時から、彼女の楽観的な陽気さや正しい判断力がわたしの心を打った。わたしを昼食に招いてくれたのは彼女だった。そうしてわたしたちがテーブルにつく前に、ポールが党への加盟に同意したのをわたしは思い出す。
 わたしはまた思い出すのだが、「わたしは書く おまえの名を……自由よ」と書いた詩人の入党をとりつけた、という幸福感にわたしは浸ったのである。

   *

 わたしたちを結ぶ深い友情がその日から始まる。時どきわたしはシャペル街を訪れた。こんにち思えば、ポールとニュシュの家で過ごしたひとときは、非合法活動でくたくたに疲れた生活のさなかの、静かな憩いのひとときのように思われる……
 それらの訪問について、わたしにはいくつかはっきりした思い出が残っている。
 ある晩、わたしたちはとても永いことおしゃべりをした。そのために、外出禁止令の時間前に、私は自分の「隠れ家」に帰れそうもなくなった。ポールとニュシュは彼らのところに泊まるようにすすめてくれた。その夜、わたしが国民戦線かCNR(抵抗国民会議)」のために書いた、呼びかけか宣言の草案を彼らに読んできかせた。ポールは、その草案の形式がいい、つまり説得力があって力強い、と言ってくれたことを、私は大変誇りに思った。ポールの方は、「詩人の栄光」という題名で』、非合法の「深夜出版」から出る予定の詩集のために書いていた序文の原稿をわたしに読んでくれた
 それは闘争に参加する詩の真の宣言だった。
 自分の人民に鼓舞されたホイットマン、武器を執れと呼びかけたユゴー、コミューヌに霊感を吹きこまれたランボオ、おのれも奮いたち、ひとをも奮いたたせたマヤコフスキー……詩人たちが大きな見地に立って、いつの日か心動かされたのは、行動にむかってである。言葉に依拠する詩人の力は純粋なものではあるが、彼らの詩は、外部世界の多少ザラザラした接触をすることによって、けっして値打ちを下げることはないだろう。闘争はただ詩人たちに力を与えるだけである」
 それは同時に、共産党員の態度表明でもあった。……
 明らかに、エリュアールはここで詩人の役割について新しい概念を述べたのだ。この新しい概念は、非人間的なファシストとの闘争、生活、そして恐らくはわれわれ共産党員との接触によって、かれらのうちに熟成され、意識されたのである。
 この序文はその精神において、まだ闘争に参加せず、時代の外にあって、依然として象牙の塔にこもっていたフランスの詩人たちに、祖国と人間の危険を前にして、たたかう詩へ参加するよう、説得するものであっただろう。
 夜、みんなが寝に行く前、わたしはつぎのようなポールのふるまいを見て心打たれた。ポールは、わたしがとどけた非合法の新聞と私が持っていた危険な書類とを小さな包にして、便所の欄干の下の、小さな換気口のなかの釘にそれをつるした。家宅捜索にあってもみつけられないように。詩「自由」を本名で公表した彼がこのように、まるで非合法活動のやり方になれた活動家のようにふるまったのに、わたしは驚いた。
 彼はわたしに答えて言った──もしも今夜、警官がふみこんできて、政治的な非合法出版物所持のために彼を逮捕しても、その逮捕は何の役にもたたないだろう。しかしもし逆に、警官が彼の詩を不穏と判断して逮捕するなら、それはフランスの数千人のインテリゲンチャと世界にとって、精神にたいする攻撃として映るだろう。そしてそれは、多くのインテリゲンチャを闘争に参加させるのに役たち、ナチス体制とそのフランスの手先どもの野蛮性を明らかにするだろう。

   *

 ある日、わたしたちはむかしのこと、シュレアリスト宣言の頃のことを話していた。ポールはシュルレアリスト・グループの分裂や、彼がアラゴンと意見を異にしたことを思い出し、失われた歳月にたいする悔恨の色をうかべて言った。──「あのとき正しかったのはルイだ」

 しかし彼はスペイン戦争のあいだに態度をはっきりと表明したことを誇りにしていた。そしてその日かほかの日か、かれは自分が朗読してレコードに吹きこんだあの驚くべき詩「ゲルニカ」をわたしに聞かせてくれた。……

   *

 ポールはペンだけでレジスタンスと党のために尽くすだけでは満足しなかった。彼は国民戦線内部におけるすべての国民的勢力と共産党員との愛国的同盟のために、多くの人物を獲得しようと努めた。
 思えが、国民戦線の指導委員会に入るようにモーリアックを説得したのは彼である。
 ポールは又、パリ滞在中のロマン・ローランを、モンパルナスの界隈の小さなホテルの一室にわたしを連れて訪ねた。ロマン・ローランは、レジスタンスにおける党の活動や国民戦線の性格と目的には全面的に賛成していたにもかかわらず、国民戦線の指導委員会へ参加してくれるようにとのわたしの要請を受け入れなかった。
 彼が拒否した唯一の理由は、かれの健康状態にあった。かれの許を辞するとき、彼の顔に現れていた死相に、たとえば鼻孔の透きとおるような薄さにいたく心を打たれた……

(「ウーロップ」誌一九六二年十一・十二月号)

(自筆原稿、新日本新書『エリュアール』)

エリュアール
ピカソによるデッサン「エリュアール」

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