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エリュアールの「ゲルニカ」

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エリュアールの「ゲルニカ」

 一九五〇年、ピカソの「ゲルニカ」の映画がつくられたとき、エリュアールはその解説「ゲルニカ」を書いた。それはピカソの「ゲルニカ」が描かれた時代の雰囲気を生き生きといまに伝える美しい散文詩である。

 ゲルニカ         ポール・エリュアール

 ゲルニカ。それはビスカヤの小さな町だが、バスク地方の由緒ある古都である。そこにはバスクの伝統と自由を象徴する樫の木がそびえていた。だがいまやゲルニカは、ただ歴史的な、涙をそそる想い出の地でしかない。
 一九三七年四月二十六日、市(いち)のたつ昼さがり、フランコを支援するドイツ空軍がぞくぞくと編隊をくりだし、三時間半にわたってゲルニカを爆撃した。
 町は全焼し全滅した。死者は二千にのぼった。みんな非戦闘員の市民だった。この爆撃の目的は、爆弾と焼夷弾との併用効果を、非戦闘員の住民にたいして実験してみることにあった。

 火にも耐えた顔 寒さにも耐えた顔
 手荒い仕打ちにも夜にも耐えた顔

 侮辱にも殴打にも すべてに耐えた顔たち
 いまあなた方を定着させているのは空虚(うつろ)さだ

 いけにえとなった 哀れな顔たち
 あなた方の死は 模範となるだろう

 死 ひっくり返された心臓
 やつらはあなた方にパンを支払わせた  
 あなた方の生命(いのち)で

 やつらはあなた方に空と大地と水と眠りを支払わせた
 そして眼を蔽うばかりの惨(みじ)めささえをも
 あなた方の生命(いのち)で

 心優しい役者たち かくも悲しくかくもいじらしい役者たち
 はてしないドラマの役者たち
 あなた方は死などを考えたことはなかった

 生と死への恐怖や勇気などを 
 かくもむずかしく かくもやさしい死などを

 ゲルニカのひとたちはつつましやかな庶民だ。かれらはずっとむかしから自分の町で暮らしている。ほんのひと握りの金持ちとたくさんの貧乏人とで、暮らしは成りたっている。彼らはじぶんの子供を愛している。暮らしはささやかな幸福と、明日を思いわずらう、大きな心配苦労から成りたっている。明日も食わなければならないし、明日も生きなければならない。だからきょうは希望を抱き、きょうは働くのだ。
 わたしたちはコーヒーを飲みながら新聞で読んだ。──ヨーロッパのどこかで、殺人部隊が人びとを蟻の群のように踏みつぶしていると。腹をえぐられた子供だとか、首を斬りおとされた女だとか、全身の血をどっと一挙に吐きだした男だとか、ほとんど想像もつかない。だが、スペインは遠い。国境の向こうだ。コーヒーを飲んだら、自分の仕事に行かねばならない。よそでは何かが起こっていることなど、考えるひまもない。そうしてわたしたちは良心の呵責をおしころしてしまう。 

 明日(あす)は、苦悩と恐怖と死を堪えしのぶことになろう。 
 しかも虐殺をやめさせるにはもう遅すぎるだろう。

 機関銃の弾丸が瀕死の人びとの息の根をとめ
 機関銃の弾丸が風よりも上手に子供たちと戯れる

 鉄と火によって
 人間が炭坑のようにぶち抜かれ
 船のいない港のようにぶち抜かれ
 火のない竃(かまど)のようにぶち抜かれた

 女たち子供たちはおなじ宝をもつ
 春の若芽と きよらかな乳と
 生の持続を
 澄んだ眼のなかに

 女たち子供たちはおなじ宝をもつ
 眼のなかに
 男たちは力のかぎり それを守る

 女たち子供たちはおなじ赤い薔薇をもつ
 眼のなかに
 めいめいが自分の血の色を見せる

 わたしたちの多くは、なんと嵐に怖れおののいたことか。こんにち、人生とは嵐だ、ということはわかりきっている。それなのに、わたしたちの多くは、なん稲妻を怖れ、雷を怖れたことだろう。雷鳴は天使の声で、稲妻は天使の翼だなどと思うとは、なんとわたしたちは愚かなお人よしだったのだろう。だがわたしたちは、燃えあがる自然の怖ろしさを見まいとして、地下の穴倉に降りて行ったことはなかった。こんにち、世界の終りはわたしたちにかかっている。めいめいが自分の血を見せるのだ。

 ついに子供たちはぼんやり放心した風をし
 わたしたちはいやでもおうでも
 いちばん単純な表現をとる羽目になる

 なんとそこには喜びの涙があった
 男は腕をひろげて愛(いと)しい妻を迎え
 慰められた子供たちは笑いながら泣きじゃくった
 死者たちの眼は深い恐怖の色をうかべ
 死者たちの眼は非情な大地の酷薄さをたたえ

 犠牲(いけにえ)となった人たちは自分の涙を飲んだ
 毒のように苦い涙を

 飛行帽をかむり、長靴をはき、きりっとした美青年の航空兵たちが、爆弾を落すのだ。狙いをつけて。精確に。地上では上を下への大混乱となる。善に心をくだく偉大な哲学者なら、そこからひとつの理論体系をひきだすまえに、この事態をじっくり見つめるだろう。なぜなら現在とともにいま四散するのは、過去と未来なのだ。爆撃の猛火のなかで断ち切られ、焼きほろぼされるのは、過去・現在・未来という一連の連続なのだ。蝋燭のように吹き消されるのは、生の記憶なのだ。

 人びとの上に血が流れ 動物の上に血が流れ
 まるでむかつくような悪臭にみちた葡萄のとりいれだ
 それにくらべれば 死刑執行人の方がまだきれいだ
 眼はすべて抉りとられ 心臓の音はみんなとだえた
 大地は死者のように冷たい

 さあ、死臭を嗅いでいる獣(けだもの)をとりおさえにゆくがいい。さあ、母親のところに行って、子供の死をよく話して聞かせるがいい。さあ、燃える炎に想いを打ち明けにゆくがいい。この世の大人たちが、子供たちを敵にまわし、まるで戦争の機械に襲いかかるように、揺りかごに襲いかかるのを、どうやって理解させることができよう。あるのは夜だけだ。それも戦争の夜だけだ。悲惨の姉で、怖ろしくもいまわしい死の娘である戦争の──

 男たちよ きみらのためにこの宝は歌われた
 男たちよ きみらのためにこの宝は浪費された

 想ってもみたまえ、きみらの母親、兄弟、子供たちの、その断末魔の苦しみを。想ってもみたまえ、あのいのちの果ての、死との格闘を、愛するひとたちの死の苦しみを。さあ、殺し屋どもからきみら自身を守るがいい。子供や老人は、この怖るべき喪の中で、とてつもない生の恐怖に腹を締めつけられるのを感じる。こうして生命(いのち)果てようとして、かれらは突然、生きたいという希いのばからしさを感じとるのだ。何もかもが泥と化し、太陽も暗くかげる。

 惨禍の記念碑(モニュマン)
 崩れ落ちた家家と瓦礫の山と
 野っ原の美しい世界
 兄弟たち あなた方はここで腐肉と化し
 ばらばらに砕かれた骸骨と変りはて
 地球はあなた方の眼窟のなかで廻り
 あなた方は腐った砂漠となり
 死は時間の均衡を破ってしまった

 あなた方はいまや姐虫と鴉の餌食だ
 だが あなた方は顫えるわたしたちの希望だったのだ

 ゲルニカの焼け焦げた樫の木のしたに、ゲルニカの廃墟のうえに、ゲルニカの澄んだ空のしたに、ひとりの男が帰ってきた。腕のなかには鳴く仔山羊を抱え、心のなかには、一羽の鳩を抱いていた。かれはすべての人びとのために、きよらかな反抗の歌をうたうのだ。愛にはありがとうと言い、圧制には反対だと叫ぶ、反抗の歌を。心からの素直な言葉ほどにすばらしいものはない。かれは歌う──ゲルニカはオラドゥールとおなじように、ヒロシマとおなじように、生ける平和の町だ。これらの廃墟は、恐怖(テロル)よりももっと力強い抗議の声を挙げているのだ。
 男はうたい、男は希望をかかげる。かれの苦しみは雀蜂のように、険(けわ)しくなった青空のなかへ飛びさってゆく。そうしてかれの歌はやはり蜜蜂のように、人びとの心のなかに蜜をつくった。
 ゲルニカよ! 無辜(むこ)の人民は虐殺にうち勝つだろう。
 ゲルニカよ!……

新日本新書『ピカソ』

母子像


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