『エルザの眼』(15)エルザへの讃歌 5 ランセの眼なざし

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五 ランセの眼なざし

ランプのまわりにむらがって 羽音をたてる蚊の群が
炎につれて渦巻きながら 天井へと昇ってゆくように
不幸のどん底より この讃歌はふたたび始まり
  この世ならぬ ファンダンゴ踊り(*1)の狂う中
ひとつの合唱 わき起こり おまえの声に答える

すべての恋びとたちは この人生を信じたように
彼らはまた ただ一つの愛だけを抱いていたのだ
あの匕首や 流刑や また絞首台などが
  ちょうど詩を終らせる 最後の詩句のように
彼らの狂わんばかりの心に とどめを刺す時まで

もしも 情熱の偉大さや 伝説や その不滅の思い出が
死を賭けた 情熱の挫折に 由来するとすれば
殉難者が倒れた日こそは 彼のための祭り日だ
  そうすれば 情熱の曲線は完成するだろう
いちども 乳を飲ませたことのない 乳房のように

いつも おんなじ言葉が 愛の歌の終りを告げる
ちょうど おんなじ言葉で それが始ったように
おんなじ眼のかぐろい隈(くま)が はてしない苦悩を語っているのだ
  かつては それが狂おしい愛を告げたように
そうしてランセの物語こそは 永遠の物語なのだ

彼はもう思い浮べる あのモンパゾン公爵夫人の
長い髪と優しい眼を かの女の姿が見えるようだ
声もきこえる 少なくとも聞こえるような気がするのだ
  いつもお待ちしていましたのよ と嘆く声が
そうしてかの女は 気も遠くなる裸(あら)わな腕を差しのべる

忍(しの)び梯子をのぼって 扉をあければ もう寝室だ
思いはやる指で カーテンもまだ引き終らずに
彼はその眼で見たのだ 断末魔の苦しみで
  紫いろになった眼を 朽葉色の巻き毛を 口を
銀の盆のうえの 切り落された首を

薔薇の花ばなをひき裂く こころない外科医たち
美しい肉体の横たわる 深いべッドのまわりで
死体に香をぬる者どもが 解剖学を論じている
  そこに 恋に身を焼く 恋人はすがりつく
大きなパンのそばの ちぎった白いパン屑のように

いまや ランセは 修道院へと消えさるがいい
われらにとって大事なのは この瞬間だけだ
胸もはりさけんばかりの 嘆き悲しみをこめて
  彼が 恋人に投げた あの眼(ま)なざしだけだ
盗んだ天の火は そこに 永遠に燃えているのだ

部屋の戸口に立った時の ランセのあの瞬間を
とある夜 漠然と経験しなかったものがあろうか
十二月のような凍りつく身震いが 自分の身ぬちと心の中を
  走りぬけるのを 感じなかったものがあろうか
自分はほんとに愛していたのか それとも夢でもみていたのか

ある夜 おれはもう おまえを失うかと思った
消えうせた幸福の名残りを おれは鏡の中に読んだ
ここにおまえは坐っていた ここがおまえの席だったと
  では おまえはそんなに生活に疲れていたのか
街をゆくひとの 吹き鳴らす口笛が 聞こえていた

ある夜 もうおまえを失うかと思った その夜からおれは
奇跡がつづくようにと 悲壮な希望を抱きつづけているのだ
しかし 恐怖は刺(とげ)のように おれに突きささる
  おまえの手首を握っていると それだけ
おまえの血の逃げてゆくのが遅れるような気がするのだ

ある夜 もうおまえを失うかと思った わが不滅のエルザよ
その大きな眼が 星のように輝やいた 聖金曜日の夜
あの不吉な夜は どうしてもおれから消えぬのだ
  死にもまた生のように あの酔いごこちにも似た
魅力があるのか おお わが美酒あふれる酒盃(さかづき)よ

消えては現われる悪夢 つきまとう恐ろしい思い出は
おれの心に 二人の地下生活を 思い起こさせる
ほかの夜夜とほかの恐怖とが こだまのように
  それに声を合わせて 鳴りどよもしてくる
それは 歌ってはならぬ小唄の リフレーンなのだ

ひき裂かれた美しい肉体(からだ)が 家に横たわっていた
低くすすり泣く声が 壕(ごう)の中から聞こえていた
香を塗る者どもの 高い話し声が聞こえていた
  わが祖国よ おまえは死なねばならぬのか
そしてすべての人民が あのランセの眼なざしをしていた

生き抜いてくれ おれたちはいま狩から帰ったばかりだ
家じゅうを埋めたすすり泣きは もうたくさんだ
だがそれも促していたのだ おれたちの手で おまえを揺り起こせと
  おお すでに聖体櫃(ひつ)に収まった聖女よ
どうか おれから遠ざけてくれ 「悪魔(デーモン)」(3)を 「類推」を

おれがこの胸に 狐のように隠している 喪(も)の悲しみ
そんなものは 当節 流行(はや)らないと 言いたければ言うがいい
おれの歌の意味が 知れわたってもかまわない
  いまは 斧が支配しているご時勢だから
いったい 君たちは理性の名で 何んと言ったのか

(1)ランセ──Aramand Rancé(一六二二〜一七○○)宗教改革家。恋人モンパゾン公爵夫人の死後、修道院にこもる。-
(2)ファンダンゴ踊り──ギターとカスターネットを伴奏とする、情熱的なスペイン舞踊。ナチと売国奴たちの狂暴さを指す。
(3)悪魔を 類推を──象徴派の詩人マラルメの言葉である「類推の魔」をもじったもの。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

エーデルワイス

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