土井大助「大島博光の詩とこころ」

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大島博光の詩とこころ

(『赤旗』1985年3月23日)

大島博光の詩とこころ
 社会変革と自己変革を重ね合わせ
                            土井大助


 74歳になって処女詩集
 大島博光詩集『ひとを愛するものは』(新日本出版社刊)が、今年の第十七回多喜二・百合子賞を受賞した。いろいろな意味で、この賞にふさわしい詩集であると思う。詩人は一九一○年長野県の生まれ。この個人詩集の刊行は昨年だから、七十歳を四つ越しての処女詩集である。フランス詩を中心に、数多くの訳詩集、研究書をもち、とくにランボオについては、早稲田大学仏文科の卒業論文にそれを書き、現在『詩人会議』に一年余にわたって「ランボオ・ノート」を連載中である。戦前から今日まで五十年の詩歴をもつ詩人大島博光を知る人なら、これが最初の自選詩集だとは容易に信じがたいだろう。それだけに、厳選された一冊となっている。

 詩集は、1が詩人の青春回想と戦後の出発をうたった五編(うち「わたしのそねっと」は十八編の連作)、2が反戦平和、反ファッショのモチーフをもつ十編、3が内外の先行・同輩の詩人への挽歌と父への追悼詩の七編、4が詩人が戦後入党して以来一貫して党派性を堅持している日本共産党にテーマをおく七編(うち「春としあわせについて」は一連のソネット七編)、という構成をもつ。

 この詩集は、何よりも、明治末期に農村に生まれた文学的インテリが、戦後いかにして社会変革と自己変革との統一を人生課題とするにいたったか、かつ、その課題をどのように四十年追求しつづけたか──そういうモチーフの一貫するところに特徴がある。ひときわユニークな今日的意味をもつ詩集である。
 〈わたしは暗い眼をしたはたちだった〉〈たしかにひとりのわたしは死んでいた/生きることに何んの意味があろう/行く道はどこにも見えやしない〉(1、ソネット「はたち」)
 彼が大学を卒業したのは一九三四(昭和九)年。小林多喜二が虐殺された翌年のこと、プロレタリア作家同盟が解体した直後だった。すでに、十五年戦争がはじまって三年目。翌年から八年間、彼は西条八十主宰の詩誌『蝋人形』の編集にあたる。その戦争下の出口のない生き方を、詩人はこう回想する。

 ルイ・アラゴンに衝撃うけ
 〈無蓋貨車はやみくもにつっ走っていた/つきまとう大きな影に追われるように/くらやみをばらまきながらくらやみに向って〉、〈だがわたしは見ぬくことができなかった/その無蓋貨車について  戦争について/無蓋貨車をあやつっていた黒い手について〉(1、「悪夢」)

 彼は、「多かれ少なかれ芸術至上主義者であって、きわめて狭い小さな内面生活をうたうことしか知らな」いで、戦時下をおくり、戦後を迎える(あとがき)。十五年戦争の過酷な経過と悲惨な結末とを思えば、それは一大痛恨事であったにちがいない。
 〈わたしもうちひしがれたもののひとり/だが くらやみをくぐりぬけたものにこそ/太陽のひかりはさらにまぶしかろう〉(1、「わたしはさがしもとめた」)。〈わたしは見た ひかりは射していた/遠いむかしから ひかりは射していた/くらやみのなかからから からくりのなかから/真実を見ぬいていた ひとたちがいた/そうして世のなかを変える方法を/みつけだした 偉大なひとたちがいた/その方法で あたらしい世のなかを/もうつくりだしている 国ぐにがあった〉(1、「ひからは射していた」)
 こうして詩人は、戦後いちはやく一九四六年に日本共産党に進んで入党するのである。一九五○年、彼ははじめてルイ・アラゴン「フランスの起床ラッパ」を読み、衝撃的な感動にゆさぶられつつ、それを訳出する。

 情熱的で高潔な党派性
 〈わたしの党は わたしに眼と思い出を返してくれた〉(アラゴン「詩人からその党へ」)──この高い詩情は、大島博光が戦後第二の人生として選びとった道にぴったりと重なるものであったろう。のちに詩人はこううたっている。〈党は みじろがぬ希望をあたえてくれた/絶望のにがい酒をあふっていたわたしに〉《党は わたしに闘うことをおしえてくれた/そとにいる敵とも おのれのなかの敵とも》(5「わたしの党に」)
 この詩集をつらぬく詩情の骨格は、情熱的で高潔な党派性にあるといってよい。それは、彼が戦後、病気とたたかいながら、率先して訳出紹介につとめてきた前記アラゴンはじめ、エリュアール、ギュヴィック、さらにはパブロ・ネルーダらの詩と人生に、海をへだてて同志的にひびきあうものであり、日本の近・現代詩における社会派の積極的伝統を戦後に発展的にひきつぐものである。戦後四十年の反戦・平和、民主主義をうたった詩編の数かずも、この詩情から生みだされてきている。パリのブルジョワどもを罵倒したランボオを「若者の若気のいたり」と評した亡き師西条八十に、その「若気のいたり」をわたしは生涯つづける、と詩人は追憶的にうたっている。この一貫性あるナイーブさとまぶしいくらいのゆるぎのなさ、ここにこそ詩人大島博光の本領と若わかしさの詩的源泉があると思う。(詩人)

(『赤旗』1985年3月23日)


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