千曲川のほとりの思い出
「多喜二・百合子賞」受賞に際して
大島博光
こんど詩集『ひとを愛するものは』によって、「多喜二・百合子賞」を受賞して、わたしはたいへん光栄に思っています。
この詩集には、千曲川をうたった詩がいくつかあります。それは千曲川がいわばわたしの「母なる川」だからです。──戦争末期にわたしは東京から松代に疎開してもどっていました。そして敗戦の翌年一九四六年二月、ある雪の降る日、わたしは長野市でひらかれた日本共産党の演説会に行って、演説をきいて感動して、その場で入党申込書に署名したのです。むろんこの入党には、わたしが学生時代に読んだ『共産党宣言』の記憶、その頃の学生運動のなかでかいま見た党の姿などが、わたしのなかによみがえって大きく作用していたのです。それから一九四七年春の総選挙闘争はわたしに忘れられない、最初の活動でした。「赤旗」にも書いたように、松代周辺の村むらを同志たちと廻わって歩きました。とくに豊栄村の小学校でひらかれた選挙演説会は印象的でした。地蔵峠の炭焼きの老人が、戦争で息子を奪われ、炭焼く山まで奪われた怒りと苦しみを話してくれたことなど、いまも忘れられません。このおじいさんのことを、わたしは「千曲川べりの村で」という詩のなかにも書いています。この詩にはまた五加村の人びとの戦前戦後の闘争や、その後の浅間高原米軍演習場化反射の關争についても触れています。また戦後最初のメーデーの頃の燃え立つような雰囲気は、「絵はがき」という詩に反映されています。
だがもっと美しいのは
そんな白いコブシの咲く山みちを
赤旗おし立て 太鼓をたたいて
つき進んでゆく青年たちの一隊だ
人民の祭の日メーデーが
山の中にも
春といっしょにやってきたのだ
詩人仲間には、「歌ごえ」や「角笛」のグループの人たちがいて──小態忠二さんのような詩人もいて、よく論じよく飲み、長野の酒場をロシヤ民謡をうたいながら飲み歩いたのも楽しい思い出です。思えばそれも三十余年もむかしのことになります。
このように、信州はわたしにとって詩人としても忘れられないところです。
さわさわととうもろこしの葉をわたってきて
病みほてった頬をひたいを
生きたまえ 生きぬきたまえと
そよぎひやしてくれる
風がある
その風は、いまも千曲川のほとりからわたしの心にそよぎ、わたしをはげましてくれているのです。
筆者紹介
詩人 長野市松代町西寺尾に生まれる 早稲田大学フランス文学科卒 西條八十主宰詩誌『臘人形』の編輯にあたる 戦時中郷里西寺尾に疎開 四六年二月日本共産党に入党 著書に『フランスの起床ラッパ』多数 詩集『ひとを愛するものは』が本年度の「多喜二・百合子賞」受賞 現住所—東京都三鷹市下連雀7ー12ー17
(『民主長野』1985年3月17日)
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