短い春 ──コミューンの蜂起(1)

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 短い春 ──コミューンの蜂起

 一八七一年三月十八日午前三時、ティエールの憲兵隊、警官隊、歩兵部隊がひそかに行動を起こした。部隊は、ビュット・ショーモン、ベルヴィル、フォーブール・ド・タンプル、バスティーユ、市庁、サン・ミッシェル広場、リュクサンブール、廃兵院(アンヴァリド)をめざして前進した。それらの街や広場には、人民の拠金でつくった国民軍の大砲が備えつけてあった。ティエールは不意討ちをかけて、それらの大砲を奪取し、パリを武装解除しようとしたのである。
 ルコント将軍の指揮する部隊は、モンマルトルの丘へ向った。部隊は、モンマルトルを警備していた国民軍の兵士たちを追い散らして、大砲を奪いとった。しかし、奪いとった大砲を、廃兵院(アンヴァリド)前の広場まで運ばなければならなかったのに、大砲を曳く馬や馬具がなかった。用意してくるのを忘れていたのである。そこで馬や馬具を探すのに手間どって、事態は思わぬ方向に発展することになる。

 手間どっているあいだに夜が明けた。逃げおおせた国民軍の兵士が急を告げた。十八区の監視委員会は警鐘を鳴らして、国民軍の兵士たちに武器をとるように呼びかけた。群衆が、大砲を運びさろうとする兵隊のまわりに集まってきた。朝の八時頃には、モンマルトルを占拠した部隊は、群衆にすっかりとり巻かれてしまったのである。こうして、身近に面と向いあった兵隊と群衆のあいだには、だんだんと交流がはじまり、交歓がはじまる。「おまえさんたちは、自分の兄弟たちに鉄砲を向けられるのかい?」とつめよる女たちに、兵隊たちは銃を逆さにかついで答える。群衆は叫ぶ「戦列部隊万歳! ティエールを倒せ!」──歴史家エドモン・ルペルティエは、その模様をつぎのように描いている。

 「ルコント将軍は、自分の部下たちが手に負えなくなっているのに気がついた。示威運動や大集会にあっては、人民と兵隊のあいだには、つねに一定の距離を置かなければならない。ルコントには歩兵部隊しかなかった。兵隊と群衆との接触はますます親密なものとなり、ますます危険なものとなった。そこでルコントは、実力を行使することに決めた。群衆にむかって解散命令を出し、兵隊には銃を構えるように命令した。
 女たちは、わあわあわめきながら、あとじさりした。けれども、この高台では銃声ひとつ鳴らなかった。歩兵たちは発砲しなかった。ルコント将軍は、さっと駆けおりて、高台の下の部隊に、発砲の命令をくりかえした。第八八部隊の兵隊たちは知らん顔をしていた。ルコントはもう一度、命令をくり返した。兵隊たちは聞こえない振りをしていた。かれらは身を動かそうともせず、銃を置いたまま休んでいた。とつぜん、隊列のなかにざわめきが起こった。新しい部隊が姿を現わしたのである。それは正規軍の兵隊をまじえた国民軍の兵士たちであった。かれらは、集合太鼓の音をきいて、『丘(ビュット)』の東側の後方にあるクリニヤンクールのデゥドーヴィル街に集合していた。かれらはシャトー・ルージュをめざして、オルナノ大通りを登ってきたのである。かれらの通り道のドゥジャン街に、作戦中の第八八部隊の出した前哨隊がいた。国民軍の兵士たちは、隊列をとくと兵隊たちの所へ行って、話しかけ、国民軍に合流するように働きかけた。かれらは兵隊たちを説得して、いっしょに連れてきたのである。

 第八八部隊の兵隊たちは、自分たちの同僚が国民軍といっしょにやってくるのを見て、かれらに合流し、同じように連合しようかどうしようかと迷っているように見えた。ルコント将軍は、兵隊たちのためらいを見てとると、かれの指名した数名の反逆兵たちを逮捕するように、かん高い声で、警官たちに命令した。命令は実行された。『ソルフェリノの塔に連れて行って、ぶち込んでおけ。おれがあとで、締めあげてやる!』とルコントは叫んだ。警官が連行しようとする、服従しない兵隊たちをにらみつけて、かれはつけ加えた。『この下郎ども、いまに見ていろ!』そのとき、高台のうえにいた兵隊たちの隊列から、どよめきの声が上った。ルコントはかれらの方へ取って返すと、狂ったようにおどしつけて、怒鳴った。『最初に反抗した奴は、脳天をぶち抜いてやるぞ!』しかし、ひとつの銃声も起こらず、一丁の銃も動かなかった。ルコント将軍は逆上して、部隊の前へ、ぶるぶる顫えながら進み出ると、怒り狂って言った。
 『きさまたち、戦いたくないなら、さっさと降伏しろ、この下郎どもめ!……』
 隊列のなかから声が上った。それは、ヴェルダゲ軍曹の声だった。かれはのちにサトリで処刑されたが、その理由は、ロジェ街の事件よりは、このときの反抗によるものであった。ルコントに答えるかのように、その声はこう呼びかけたのである。「同志たち、武器を棄てよう!」
 たちまち、数人の兵隊たちが銃を前に投げ出した。がらがらと、大砲がひっくり返える金属音がきこえた。この騒ぎに答えて、歓喜の叫びがあがった。国民軍の兵士たちは、銃を逆さに振りあげながら叫んだ。『戦列兵万歳!』女たちは、兵隊たちの所にわっと押しよせて、兵隊たちに抱きついたり、抱きしめたりした。どこでもかしこでも、みんなが銃や軍帽を振りざし、手を握り合った。国民軍の兵士たちは、まだ銃を手にしている戦列兵に、自分たちの嗅ぎ煙草を渡して、かれらのシャスポー銃をうけ取った。将校たちは、みんなに包囲されて、もみくちゃにされ、武装を解除された。」
 けっきょく、群衆に発砲を命じたルコント将軍は群衆に捉えられる。そして、一八四八年の「六月蜂起」にたいする虐殺者のひとりであったクレマン・トマ将軍とともに、ルコント将軍も、ロジェ街で処刑される。

 このモンマルトルの出来事は、大きな劇の一幕にすぎなかった。ほかの作戦地点でも、ティエールの軍隊は撤退し、ティエールは馬車を駆ってヴェルサイユに逃げた。
 これが、プロレタリア革命の合図となり、パリ・コミューンの始まりとなった。この革命においては、売国奴たるヴェルサイユ議会およびティエール政府にたいする憎悪と、民族的屈辱感と、労働者階級の革命的情熱とが結びついていた。こうしてプロレタリアートは、初めてじぶんの運命をじぶんの手に握り、権力をじぶんの手に握ったのである。

 三月十八日に蜂起した人たちを、ポティエはのちに「蜂起者」と題する詩のなかに歌っている。

(続く)

(『パリ・コミューンの詩人たち』)

*「蜂起者

パリ・コミューン


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