長篇詩 怒る浅間山(7)

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(7)

だが 浅間を彼らに勧告し
うりつけたのは
誰だ
日米合同委員会分科会の正体は
あの内灘における仲間たちの
血を吐くよりも強い叫びをしりめにし
彼ら米軍機に乗りたくって
彼らの足元へ告げかえったのは
誰だ
軽井沢町民の仲間たちが
最初 ものわかりよく陳情に行ったとき
風紀云々を云っているばかがどこにある
と直接仲間の顔に
考えられない うそのような言葉をあびせたのは
誰だ
伊関国際協力局長の魂は

よく思いついた
よくも 彼等に思いつかせた
だが 浅間を彼らに思いつかせた原因がまだあった

自分がどんな恐ろしい事をしているか
それがよく判らないで ものごとを進める場合があるものだ
それは現実の認識不足
それに大衆の意見を軽んずる独善
それに米国デモクラシーのからみ
もうけ主義に侵された ものの考え方からくる
もうける事しか考えていなかった軽井沢の一部の商人
軽井沢町当局のブルジョワ育ちの一部のボス
現実のなにものも知らなかったおろかもの
大衆の声を無視した土地出身の県会議員
後藤県会議員
彼の無知はさもしいことを考えた
万平ホテル 及び
ニューグランドホテルの接収解除が
どこから広がりはじめたか
だれが言いふらしたと言うでもないように
うわさされだした
そのとき

彼らの あざむきの眼の色を知らず
こう申し出た
「軽井沢町 自体としては
二つのホテルが接収されていることによって
貧乏人六百余名の労働者が給料をもらえて生活でき
また 商店街は米軍の落とす金によって それなりきのうるおいがあった
それが いま折角米軍がいてくれるのに
解除されると失業者がふえ
商店街は悩み くるしむ
こんな 損な
ばかげたことはない」と
後藤は県会で言った
後藤は得意だった
後藤は親分になったような気がした
おれの一言で多くの貧乏人を助けることができる
後藤はそれを考えるとき
待合での酩酊も気持ちよかった
このとき社会党県知事 林虎雄
また こころある県会議員たちは
彼らの駐留を認めること
それは一層軽井沢一帯に腐敗をまねくとして
恐れて
そのとき 後藤に警戒をうながした
後藤は面白くなかった
もうけること
それだけしかかんがえぬ一部軽井沢商人の
見えぬくもの糸であやつられている後藤にとって
おれの言葉ほど正しいものはない
と考えていたから
(つづく)

(『呼子』10号 1953年7月)

浅間山

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