国民詩について

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国民詩について

(「希望/エスポワール」 1953年10月号)

妙義
妙義山

国民詩について
                     大島博光

 わたしは国民文学の一翼としての国民詩は、つくられ、われわれの眼のまえに現われて来つつある、とおもう。国民詩のつくられる条件が、われわれのところで、いよいよ熟してきていることと、それはむすびついているのである。例えば、内灘のたたかいを歌っている「北陸文学」の諸作品、妙義における「土と鉄」の作品、とくに、浅間の基地反対闘争をかいた「呼子」グループの共同制作「怒る浅間山」(五十枚の長編叙事詩)などは、国民詩の実践が、われわれの現実の日程にのぼってきたことを、まざまざと物語っている。侵略者と売国奴たちから、祖国と民族を解放しようとするひろい国民の共同のたたかいがすすみ、国民感情がうまれ、昂揚するとき、そこにこそ、始めて、国民詩の基盤と条件がうまれ、そなわってくるのである。
 「呼子」グループを例にとつてみれば、そのメンバーが、労働者、農民、小市民という構成をもち、労働者、農民詩人が中心になって、活動しているが、このことは、そのまま、国民詩のにない手が、誰であるかをも、もの語っているようにおもう。(「呼子」の「怒る浅間山」について紹介できないのが残念だが、この長編叙事詩は、いろいろの欠点はあるにしても、そのスケールの大きさ、歴史的展望、大衆の感情に深くさぐりこんでいる点など、高く評価さるべきものとおもう)。
 これらの、基地反対闘争の詩の中にあらわれてきた一つの傾向として、農民の方言をとりいれる傾向が、眼につく。このことは、国民詩の性格と、とうぜんむすびついているのである。なぜなら、労働者階級とならんで、今日のたたかいの中心的なにない手である農民、国民の五十%をしめる農民が、詩のなかにも登場し、またかれらもその読者となることによって、はじめて、詩も実質的に国民詩となりうるからである。
 われわれは、このような方向を、もっと意識的におしすすめ、深める必要がある。それには、やはり大衆のなかに根ぶかく、はいって行って、大衆を知り、大衆のことばをまなびとるよりほかに、道はない。国民の解放と独立のためのたたかいをぬきにしたようなところに、国民文学をさがしもとめるのは、木によって魚をもとめるのとおなじである。国民文学は、たたかいのなかからこそ、うまれるし、うまれずにはいないだろう。(投稿)

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