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てい談 第十七回多喜二・百合子賞を語る

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てい談 第十七回多喜二・百合子賞を語る <上>

『大島博光詩集 ひとを愛するものは』

 第十七回多喜二・百合子賞は、『大島博光詩集 ひとを愛するものは』(新日本出版社)、佐藤貴美子『母さんの樹』に決まりました。受賞作をめぐって、西沢舜一、土井大助両氏とともに、山中郁子参院議員に作家・秋元有子さんとして語りあってもらいました。

 西沢 今年の多喜二・百合子賞は、詩と小説の分野で大きな収穫があったことを大いに喜びたいと思います。
 受賞の発表にもありましたが、『大島博光詩集 ひとを愛するものは』は、大島さんの戦後、日本共産党に入党してからの仕事を一巻の詩集にあまれたものです。作者のあとがきにもありますけれども、「党員となった時代が、自分の真の時代、真の生活」(市川正一)という生活が芸術的完成度においても立派な域に達している、そこに大きな意義があると思います。
 『母さんの樹』は、「赤旗」に連載中から大きな反響があり、単行本になってからも、多くの読者に歓迎され、版を重ねている。題材になっている長岡事件そのものが感動的ですが、それを一つの文学作品の世界にまとめあげた力作です。大島さんの詩集からはじめたいと思いますが、この詩集の編集に協力された土井さんからまずお話を……。

最初の個人詩集

 土井 これは大島さんの最初の個人詩集なのですね。そういうと、意外だという人が多い。フランス詩を中心とした訳詩・編詩集をあれだけだされ、戦前からの長い詩歴をもつ詩人なのに、七十四歳にして処女詩集というのは異例のことだからだと思います。
 大島さんには、こういうことにわりと恬淡(てんたん)としたところがあるのですね。この詩集刊行にあたっては、健康にすぐれない大島さんを支えて資料を整理された奥さんの協力が絶大でした。

 秋元 大島さんといえば、『フランスの起床ラッパ』などのアラゴンの訳詩がすぐ浮かんできます。ですからこれが初めての詩集とうかがってちょっと驚きました。大島さんは、日本共産党の獄死した幹部、市川正一の言葉を引いて、党員となった時代が自分にとって真の時代とのべておられますが、この詩集全体から大島さんの日本共産党員としての人格、生きる姿勢、その人格のさわやかさ、すがすがしさが伝わってきますとね。自分が選んだ共産党員としての人生に、何のひるみも、迷いもなく、また肩ひじもはっていない。
 私はときどき、だれも聞いていない真夜中に詩を声にだして読んでみるんですけれど、「わたしの党に」「千曲川べりの村で」など党をうたった作品は朗読すると、いっそう感動させられます。

 土井 すがすがしい人柄、と秋元さんがいわれましたが、ぼくもこの詩集には、まぶしいくらい、ナイーブな感性を感じました。声を出して読むとよくとどくとのことですが、表題作「ひとを愛するものは」の終連で「言わないでくれ 音楽のない言葉は/語らないでくれ 酩酊のない散文は」とうたっているように、そういう意味で音楽性を重んずる詩人なのでしょうね。音声だけでよく伝わる言葉、これは詩法の特徴として一貫しています。いわば、この詩人の大衆性でしょう。

 西沢 詩の朗読の機会はもっとふやしたいですね。大島さんが翻訳・紹介されたパブロ・ネルーダの詩を、私、キューバへいったとき、葉巻き工場の中で朗読を聞いて感動したことがあります。最高級の葉巻きは一つひとつ手づくりなんですが、その作業場のまん中に銭湯の番台のようなものがあって、そこで朗読される詩を聞きながら手仕事をすすめるわけですね。大島さんの詩集も、もっと朗読・鑑賞をすすめたい。

 ナイーブな感性

 土井 大島さんは、プロレタリア詩運動が退潮期に入ったころに、ものをかきはじめた世代なのです。一九三四年早稲田大学を卒業。卒論は「アルチュール・ランボオ論」だったといいます。三三年に小林多喜二が殺され、三四年二月に作家同盟が解散している。だから、プロレタリア文学の影響は、文学的にはあまり受けていない。ヒューマンな心を抱きながらも、しかしそれをどう社会現実に結びつけていくのか、出口がまったくない時代に出発した詩人といえます。現実にたちむかうべき詩が出口をふさがれたまま、戦前、戦中の暗い時代をすごし、戦後を迎えたわけです。それ以前には、いろんな迷いも悩みもあったでしょうし、その一端は詩集からも読みとれます。「わたしもうちひしがれたもののひとり/だがくらやみをくぐりぬけたものにこそ/太陽のひかりはさらにまぶしかろう」(「わたしはさがしむとめた」)とうたっていますが、この「太陽というのは、戦後の新しい時代、人生を再出発させようとした大島さんの道が、日本共産党のさし示す道と必然的に合致した、そのことを象徴するイメージです。

 秋元 この詩集を読んで感じるのは、非常によくわかる詩だということです。現代詩の中には難解なものも多いですが…。
 私はそういうのはちょっとお手あげなんです。わからないとかわかるとかをめぐる問題が詩の評価とどうかかわるのか、読者、鑑賞者の一人としてよく考えさせられることがあります。

 西沢 そうですね。散文の場合は描写や説明が自由にできますが、詩歌は韻律という要素が決定的だから、詩人、歌人が鋭敏な感覚でことばを選択するわけですね。そこで一読して意味のとりにくい作品も生まれる。それにたいして、難解な詩はだめで平易な詩がよいという、単純な考えは正しくないと思うんです。一時期、こういう俗流大衆路線と呼ばれる主張もありましたが、むろんまちがっている。しかし、それでは一般鑑賞者に難解であることをもって良しとするということにはなりません。やはり多くの鑑賞者に親しみやすい作品はほしいですね。全国民に親しまれる詩の書き手を国民詩人というように、共産党員、党支持者に愛唱されるという意味での党員詩人といいますか、アラゴンやネルーダの紹介をしてこられた大島さんは、ご自身の詩作にもその司能性をもった詩人だと思います。

 土井 先ほどもいいましたが、たしかに「酩酊のない散文」では詩にならぬと思い定めつつ、酩酊がいきすぎて人を迷路に誘う詩がいかに多いかという詩壇事情も、彼にはよく分かっていたわけでしょう。かつては多少とも芸術至上のボヘミアンだった人のはずですから。そこから、「ひとびとの胸の火を照りかえして/火をつくりだすものこそ詩人」(「わたしのそねっと」結び)──戦後の再出発に、そう自分の態度と詩法の基本をきめて、それが四十年今日まで貫かれてきているわけです。だからこそ、今もって詩精神が若わかしく党派性も堅固なのだと思いますね。その軌跡がこの詩集です。

 近代詩の遺産を

 秋元 「硫黄島」という詩。私も何年か前に、国会の調査団として硫黄島にいったことがありましたので、興味深い題材でした。数万人といわれる玉砕した日本軍の主力が、少年兵だったそうですが、あくまでも青く澄み切った空と海のもとで、何で若い子どもたちが死ななければならなかったのかと思うと、涙がでましてね。この詩をよんで、そのときのショックを作日のことのように思いだしました。戦争への告発として大変力のある詩ですが、詩集が全体としてそついう主張をもっていると思います。

 西沢 さて、『母さんの樹』に移る前にひとことふれておきたいのは、大島さんが内外の近代詩を身につけて党に入党された、というか、党をうたいあげるときも、青年時代の素養が血肉化していると思うんです。直接にはランボオに傾倒し、西条八十のお弟子さんだったわけだけど、先生をつうじ、さらに独自に吸収した近代詩の遺産ですね。藤村などとも共通の郷土である信州をはじめとして、日本の風土をうたい、季節をうたう詩にも、近代詩の発展的継承者としての大島さんを感じます。近代文学の遺産の積極的な継承、発展という点では、この賞がちなむ小林多喜二、宮本百合子がそうでしたが…。
(つづく)

(「赤旗」1985年3月12日)

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