第17回多喜二・百合子賞受賞者に聞く──詩集『ひとを愛するものは』について

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誌上インタビュー 第17回多喜二・百合子賞受賞者に聞く

 今年の第17回多喜二・百合子賞は、大島博光詩集『ひとを愛するものは』と佐藤貴美子『母さんの樹』に授賞されました。誌上インタビューとして、受賞のお二人に、つぎの五項目についてお答えいただきました。
(1)今度の受賞作の成り立ちについて。
(2)ご自分の文学的な出発(原点)と、今日の到達について。
(3)その間の民主的文学運動(その他の民主運動)とのかかわりについて。
(4)現在取組まれている文学的なお仕事、これから取組まれようとされているお仕事(計画)について。
(5)その他、受賞のご感想について。

詩集『ひとを愛するものは』について
                        大島博光

(1)こんど多喜二・百合子賞を受賞した詩集『ひとを愛するものは』は、「あとがき」にも書いているように、敗戦後まもない一九四六年、わたしが三十六歳で日本共産党に入党してから以後に書いた作品によって成立っている。しかし、それらの詩作品の性質の点からみれば、個人的な感懐をうたった詩、自己変革をあつかった詩、平和の詩、状況の詩、政治詩などによって成立っている。
 そしてもっと根源的に考えれば、このわたしの詩集を成り立たせたものは、そういう詩を書きたいと思ったわたしの意識であった。そしてそういう意識を与えてくれ、そういう活動を保証してくれたのは党であるから、この詩集の成り立ちは党のおかげによるのである。「……多少なりと詩をたたかう武器とし、状況の詩、政治詩を書くことができるようになったとすれば、それは党のおかげであり、そこに党があったからである」とわたしが「あとがき」に書いたのもそういう意味である。

(2)わたしはまた「あとがき」につぎのようにも書いている。「わたしは元来レアリスムからは遠いところ、むしろレアリスムとは相反するところから出発した。わたしは戦前から戦中にかけて青春を送った世代にぞくしているが、党員になる前のわたしは多かれ少なかれ芸術主義者であって、きわめて狭い小さな内面生活をうたうことしか知らなかった。外部では、苛烈な階級闘争がおこなわれ、治安維持法をふりかざした特高によって小林多喜二が虐殺され、とうとうファシズムがのさばり、侵略戦争がおし進められていたのに、それがそのものとして見えなかった。見ようともしなかった。そういう外部世界、状況、歴史は、詩とは無縁のものだとわたしは思いこんでいた。」
 戦前のわたしが詩について抱いていたこのような考え方、態度は、詩の分野におけるブルジョア・イデオローグたちが、こんにちもなお宣伝にこれつとめているところのものである。新しいよそおいやニュアンスなどのちがいはあるにしても。戦後のわたしの詩は、このような戦前の詩にたいするアンチ・テーゼである。
 といっても、このアンチ・テーゼをどれほど実現しえているかは、わたしじしんにはわからないが、それはわたしにとって容易なことではなかった。古いおのれの詩を変えることは、単なる頭の切り換えなどでできることではないからである。おのれの詩を変えるには、新しい思想を身につけると同時に、実践をとおしておのれの人間そのものを変えるよりほかに道はない。つまり意識と詩法を変えるには長い時間にわたる過程が必要なのである。
 詩を書くという作業の点についていえば、たとえば状況の詩、政治詩を否定するブルジョア・イデオローグたちは、外部世界──状況を詩にもちこむことは詩の後退であり、詩の貧困であり、詩に政治をもちこんではならない、と説教している。戦前のわたしも、こういう禁制をうけいれていたのであり、わたしにもたくさんの「禁じられた言葉」があった。したがって新しい詩をかくことの第一歩はまずこういう禁制を自分からとっぱらい、みずからに禁じていた言葉を解放することであった。
 詩における形式の問題についていえば、たとえば定型という問題がある。日本には俳句、短歌という定型詩形があるが、詩にはそれほど決定的な定型はないし、現代詩にあってはそんなことを問題にする意識すらもほとんどないようである。それにもかかわらず、わたしが形式らしいもの、ソネット形式などを採用しているのは、アラゴンの詩論に負うところが大きい。アラゴンは、詩の内容における個人主義を克服すると同時に、形式における個人主義を克服しなければならないといって、フランス詩における民族形式──伝統的な定型の採用を主張し、実践し、その定型に新しいひびきを与えた。フランス詩の定型は、脚韻、胸韻シラブルなどをもった詩句versのさまざまな組み合わせから成り立っている。むろん、われわれのところには、そのような詩句はないし、そのような概念もない。しかし、われわれのところにも伝統的な音数律があり、語呂あわせといわれるようなかたちでの胸韻、脚韻も考えられるのだから、それらを採用して、定型とまではゆかなくとも、形式にたいする意識なり精神をもって詩を書くことはまったく無意味というわけではあるまい。──それが、わたしが形式らしいもの、ソネット形式などを採用した理由である。それが何ほどかの効果をあげているかどうかは、わたしにはわからない。ただ、何ほどかの言葉のひびきあいを創りだし得たと思った時、創りだしたもののひそかな悦びがあったことを、わたしは告白しておきたい。言葉の音楽といわれるものが、詩を構成するところの要素であるとすれば、それを否定しさるよりは利用した方が、詩の豊かさのためにも役立つであろう。そしてそれは、なんら詩におけるレアリスムをそこねるものでも、それに相反するものでもないのである。

(4)わたしはこれから理念(イデエ)の詩にとりくんでみたいと思っている。社会主義・共産主義の新しい理念、精神といったものを、意識的に積極的に詩で追求したい。むろんそれは実践的に追求するほかはない。詩の分野においても、そういう理念は自然成長的に生まれてくるわけではないから、詩人が意識的にそれを追求する必要があるだろう。この理念(イデエ)の詩の追求を、何か観念論でないかと怖れたり、気がねすることはあるまい。それは詩人の先見性と先駆性をみずから否定し、詩人から翼を奪うことになろう。
(『民主文学』1985年5月号)

民主文学

ひとをあいする

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