『エルザの眼』(8)涙よりも美しきもの(つづき)

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 アラゴンは、この詩の冒頭で、ドリュ・ラ・ロシェルに毒舌を返えしている。「おれが呼吸をしていると、ある連中の生きる邪魔になり何かの苛責で彼らは夜もおちおち眠れぬのだ」と。そして「そこなる美女」──祖国フランスにたいする愛と熱情をあかし立てるために、国巡(めぐ)りをして、地方地方の美しさや、歴史や歴史的人物を喚び起こしている。そこには『ローランの歌』のローランが祖国のために戦死したロンスボーの峠があり、一七九二年のパリ・コミューンの義勇軍による勝利の地マルヌ(ヴァルミ)がある。
 この国巡りという歌いぶりは、後の『フランスの起床ラッパ』のなかの『百の村の出征兵』にも見出される。

  アルルから吹いてくる風には 夢がある
  その夢は 私の心そのものだから声高くは語れぬのだ
  オニスや サントンジュの黄ばんだ沼地を
  侵略者どもの 戦車の轍が踏みにじっているとき

 このくだりは、一九三七年十二月の、フランス共産党アルル大会を暗に歌って、アラゴンは同志たちに想いを馳せている。この大会では、「世界におけるフランスの高貴な使命を忠実に守ろう」と呼びかけたモーリス・トレーズの報告が採択されたのだった。そうして、この詩を読んだ多くの同志たちは、大会を思い出して、アラゴンに手紙を書いたのである。

 一九四三年の始め、ド・ゴール将軍は、「涙よりも美しき美女(ひと)」の数行を、アルジェ放送を通じて朗読することになるが、この詩は、きわめて興味ぶかい事情によって、北アフリカで合法的に発表されたのである。
 一九四二年、チュニジア総督、エスデヴァ提督は、独仏休戦条約におけるドイツ側の大きな権限に不満で、自分の新聞で腕曲に「愛国心を喚起する」方法を探していた。愛国主義は、対独協力派やヴィシー派の作家たちの間では殆んど見当らなかったので、提督はついにアラゴンに書かせることになった。提督の使者が、ニースにアラゴンを訪ねてきて、週一回、いろいろな問題を扱った記事を書くように求めた。非公式とはいえ、その筋からの求めをすげなく拒わるのは、困難でもあり、危険でさえあった。そこでアラゴンは、ドリュ・ラ・ロシェルにたいする反駁として書上げたばかりの「涙よりも美しき美女(ひと)」をチュニスの新聞に発表することにしたのである。
(つづく)

白バラ



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