『エルザの眼』(5)リベラックの教訓

ここでは、「『エルザの眼』(5)リベラックの教訓」 に関する記事を紹介しています。
エルザの眼

 リベラックの教訓

 ペタンが、屈辱的な独仏休戦条約に署名した日、アラゴンは、フランスの南西部、ドルドーニュ県ペリグー市に近い小さな町リベラックにいた。ダンケルクから脱出してきた部隊の、生き残った仲間たちといっしょであった。こうしてこの町で『リベラックの教訓』がかかれることになる。
 「この一九四〇年六月廿五日、われわれはちょうど、一三〇〇年の復活祭の夜明けのダンテとヴィルジルのように、地獄から脱け出ることになった。そして

  ふたたび星の見られる出口がそこにあった

 と、彼らのように言うことのできたのは、リベラックにおいてであった」

 詩集『エルザの眼』に収められている『リベラックの教訓』は、リベラックの町に滞在した折に想を得たもので、この詩集を解きあかす鍵でもある。
 ナチによる占領と、それにたいする抵抗運動という情勢のなかで、詩によって国民の覚醒と決起を呼びかけるという任務は、ますます緊急なものとなっていた。フランス人民に呼びかけ、「生きている者にも、死んだ者にも声を挙げさせる」という歴史的要請を前にして、広範なひとびとにどのように訴えるか、どのように書くか、が問題となってくる。かつてシュルレアリストたちによって提起された、「なぜに書くのか」という問題は、もはや時代錯誤でしかなかった。
 「わたしは人間とその武勲(いさおし)を歌う……いつにもましていまはその時である。廿年前、わたしは当時の友人たちといっしょに、「なぜに書くのか」という意地わるなアンケートを出したが、こんにち、それを問題にすることは無用である。わたしの答えは、ヴェルギリウスのなかにある」(『われは武勲と人とを歌う……』)
 こうして十二世紀にさかのぼって、フランスの詩的伝統とその技法を見直し、革新し、延長することが問題になってくる。それは、「民族的な語り口」を回復するためでもある。フランスの十二世紀には、いわゆる中世騎士道物語や、『ローランの歌』などの雄大な詩的主題がうたわれると同時に、フランス詩の最初の韻律形式、とりわけ、フランス詩の特徴的な要素となる脚韻が現われたのだった。しかし、アラゴンが復活を試みたのは、この伝統的な詩法だけではなく、この中世紀騎士道の精神であり、その「女性崇拝」である。
 「クレチアン(ド・トロワ)のペルスヴァルは、いくつかの点で、リヒァルト・ワーグナーのパルシファルとは違っている……。彼は、女たち、弱き者たちを守る、さ迷える騎士である。彼は、ワーグナーとニイチエとがそこでいっしょになるような、あの個人主義の最後の表現などではない。……ペルスヴァルは、真実の担い手であり、審判者である。彼は、フランス人とはかくあれと願うようなフランス人、フランス人の名に価いするようなフランス人の、もっとも高潔な化身である。ここで、男性の使命とむすびついた女性崇拝は、あの正義と真実をまもるという使命に光を与えるのである」そしてアラゴンは、ジャン・ジオノの「這いつくばって生きよう」という敗北主義にたいして、クレチアン・ド・トロワの「辱しめられて生きるよりは潔ぎよく死んだ方がいい」という詩句を対置して、こう書いている。「こんにち、あの英雄主義、あの祖国への深い忠誠について、数千の生きた模範があることは疑いない。……だが、こんにち、それについて語ることができるだろうか。いや、できはしない。真紅の騎士ペルスヴァルをとおして、わたしは彼らに挨拶をおくる」真紅の騎士ペルスヴァルのなかに、アラゴンがまさに先取りしていたのは、英雄的なフランス人民にほかならない。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

林

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/3190-7b6f551e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック