『エルザの眼』(2)ダンケルクの夜

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   ダンケルクの夜

  フランスは 擦りきれたぼろ布(きれ)のように
  一歩一歩 おれたちの歩みをこばんだ

  死者たちが 藻にからみあう海のなか
  ひっくり返った舟は 司教の帽子さながら

  空と海とのほとりの 十万の露営
  空のなかに伸びる マローの浜べ

  馬の屍臭のただよう夕ぐれ 移動する野獣の群が
  踏みならす地響きのような どよもしが起こる

  踏切が 縞模様の腕木を上げる
  おれたちの心は またばらばらになる

  十万の「土地なしジャン」の心に高鳴る愛も
  もうずっと黙りこんでしまうのか

  人生で傷だらけになった聖セバスチャンたち
  なんと君らは わたしによく似ていることか

  そうだ 心の傷口を愛さずにいられぬような
  ひとびとだけが おれに耳傾けてくれよう

  せめておれは叫ぼう かつて歌ったあの愛を
  燃える戦火が花花のようによく見える夜の中で

  おれは叫ぼう叫ぼう 燃えあがる町のなかで
  夢遊病者たちを 屋根の上から呼びおろすまで

  おれは叫ぼう おれの愛を あの朝はやく
  包丁 包丁と歌って通る研(と)ぎ屋のように

  おれは叫ぼう叫ぼう おれの愛する眼よ
  どこにいるのか おれの雲雀 おれの鷗よ

  おれは叫ぼう叫ぼう 砲弾よりも強く
  傷ついた者よりも 酔っぱらいよりも激しく

  おれは叫ぼう叫ぼう おまえの唇の杯(さかづき)で
  酒をのむように おれは愛を飲んだのだと

  おまえの腕の木蔦(きづた)が おれをこの世に縛(しば)りつける
  おれは死ねないのだ 死んだ者は忘れてしまう

  おれは思い出す 舟でのがれた人たちの眼を
  ダンケルクへの愛を だれが忘られよう

  とび交う曳光弾のために おれは眠れぬ
  自分を酔わせてくれた酒を 誰が忘られよう

  兵士たちは 身をかくす穴を掘った
  まるで墓場にゆらめく幽霊のように

  並んだ石ころのような顔 ぶざまな寝姿
  みんな びくびくおびえながら眠っているのだ

  ここ北仏の砂丘に 「五月」は死に
  ただよう春の香りを 砂は知らない

(1)「土地なしジャン」──「Jean-sans-terre(一一六七〜一二一六)イギリスの王。獅子王リチャードの実弟に当る。フランス王フィリップ・アウグストに敗れて、フランスに持っていた領地ノルマンデイ、アンジウ等の地を失う。ここでは独軍に土地を奪われたフランス人を指している。

 ここでは、「空と海と」の遠大な光景のなかに、悪夢のような影像がくりひろげられ、「幽霊のように」ゆらめいている。しかし、この暗い敗残のなかでも、詩人の愛は声高くよびかけている。それは、

  おまえの腕の木蔦(きづた)が おれをこの世に縛(しば)りつける
  おれは死ねないのだ 死んだ者は忘れてしまう

 という、愛のつよい力が詩人を希望の方へ押しあげるからだ。そして、ひろく知られている詩『エルザの眼』は、無類の美しさで、その愛の力と希望をうたいあげている。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

波
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