「軽井沢を青年が守った」(3)満蒙開拓団

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 満蒙開拓団

浅間山のすそ野、標高千メートル附近、追分に隣接した三石・大日向地区には元満蒙開拓団の人々が入植し、集落を作っていました。その集落から数百メートルのところが接収されて演習地にされようとしたのでした。

◇   ◇   ◇   ◇
 ……その時から開拓団の死の逃避行が始まったのです。昼間はコーリャン畑に隠れて夜だけ移動する。何ヶ月もかかってやっと引き揚げ船にたどり着き、日本に帰って来たのですが、それからもまた大変でした。元の村に帰ることはできず、引揚援護局と相談して入植地が決まるまでに、かなりの時間がかかりました。
 軽井沢に入植した三石・大日向開拓団の人たちも、戦争のとんでもない犠牲者だったのです。三石開拓団の人たちは入植地が南の方だったので終戦の次の年に追分の三石地区にたどり着きましたが、大日向の人たちは黒龍江省に近い北部だったので、借宿部落の北方一キロの地点に入植を果たすまでには二年かかりました。
 昼間、コーリャン畑に隠れている時に乳飲み子が泣いて、見つかるのを恐れて、母親がおんぶしていたひもでわが子を絞め殺すのを見てしまった人が大日向にいました。「ずーっと長い間、誰にも話せなかった」と、後年になって、関東軍に捨てられての逃避行の悲惨な体験を話してくれました。
 こんな苦労をして入植し、ようやく生活の目処が立ち始めた時、目の前が米軍の演習地に接収されたら、今度は何処へ行けというのでしょう。「絶対に負けられない、負けるわけにはいかない」という堅い覚悟が、開拓者たちの胸に宿ったことは間違いないと思われます。
(荒井輝充「軽井沢を青年が守った 浅間山米軍演習地反対闘争1953」)

彫像

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