『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』あとがき

ここでは、「『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』あとがき」 に関する記事を紹介しています。
 あとがき

 この本では、わたしはまず、エルザへの愛の詩を中心としたアラゴンの詩のアントロジーを編みたいと思った。レジスタンスの時代のアラゴンの詩集──『断腸詩集』『グレヴァン博物館』『フランスの起床ラッパ』『新断腸詩集』などは、とにかくわが国でもすでに訳出紹介されてはいるが、戦後の『眼と記憶』『未完の物語』『エルザ』『エルザの狂人』などの詩は、まだほとんど紹介されていないからである。
 アラゴンの詩、とりわけエルザへの愛の詩をよく理解するためには、エルザとアラゴンの人となりや、レジスタンスの時代の二人の地下生活、その時代背景などを素描しなければならなかった。アラゴンの詩も愛も、「歴史とおなじ歩はば」をもっているからである。たとえば、『サンタ・エスピナ』(『断腸詩集』)と題する詩にしても、「サンタ・エスピナ」というのが、スペイン戦争の時代、パリにおけるスペイン人民戦線支援の集会で吹奏されたカタロニアの民謡の曲であるということがわからなければ、この詩も、この詩の呼びかけていることもよくはわからないであろう。また、『涙よりも美しいもの』(『エルザの眼』)という詩が、ドリュ・ラ・ロシェルのデマゴーグにたいする反駁として書かれたことを知るならば、この詩の意義と美しさはいっそう浮きあがってくるだろう。
 アラゴンにおける愛の問題の解明分析も、この本ではほんの素描に終らざるをえなかった。それには、シャルルアローシュやジャン・シュールのように、それだけでも一冊の本をかかねばならぬだろう。
 また、アラゴンにおける思想・芸術の発展を緻密にあとづけるためには、ロジェ・ガローディの『アラゴンの道程』のようなぶ厚い一冊が必要であろう。
 アラゴンのたくさんの詩集と、その厖大な数にのぼる詩のなかから、できるだけ重要な詩をえらんで訳出するだけでも、しかもそれらの詩がきわめて訳出するにはむつかしく、また難解でもあるので、それだけでもわたしの手にはあまるものであった。また、詩集『詩人たち』や『オランダへの旅』などにも、手はまわらなかった。
 しかし、アラゴンの詩を翻訳することは、わたしにはつらい作業ではあったが、また楽しかった。

  わたしはいつも愛するのだ 若者の清らかな額を
  あのまぶたのしたに秘めた アネモネ色の眼を
                         (『未完の物語』)

  砕けた酒杯(さかづき)から こぼれ流れる酒のように
  姿かたちもないわたしの亡霊は どこへ急ぐことやら
  土の重みにおしつぶされた 菫の花の
  ほのかな香りに酔って わたしの足は千鳥足
                         (『エルザの狂人』)

 などの詩句に出くわしたとき、わたしはしばし詩的酩酊をおぼえた。それは詩の魅惑だけが与えてくれるものであった。そこにはまさに「書きとめられた」一片の無限があり、詩を詩たらしめるところのものがある。とはいえ、むろんそればかりを強調してはなるまい。なぜなら、アラゴンが詩においてめざしているのは、人間の全的追求──まるごとの人間の追求であり、その主要な主題は愛であり、愛をとおしての未来の精神だからである。そしてエルザへの愛の歌の教えは、「愛することを学ぶこと」にあるのだから……

 この本が世に出るにあたっては、旧友島谷逸夫および魚岸勝治君の手と足とをわずらわした。ここに謝意をしるしておきたい。
  一九七一年五月            大島博光

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

空


関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/3169-60fb0833
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック