長篇詩 怒る浅間山(2)

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此の頃 諸国に飢饉があり 疫病流行し
とりわけ火山灰に田畠を焼かれ
山野に草木の芽も枯れて
緑の影は何処にもない
浅間山麓一帯の農民の貧窮甚しく
城主に再度の救助請願にも空しかった。

真夏の陽光に焼ける火山灰道路に
消失して藁が無く はだしのままの農民たちの
空腹に倒れるもの次第に数をまして
秋に入るも遂に一粒も実らず
このままでは死を待つだけだとさとった。
上野国磯部村の農民約二七〇人は
妻や子が 夜更けの暗い土間で
祈りをこめて とぼしい藁で編んだ
むしろを旗に
祖父の涙 父の汗のしみこんだ
スキ クワを手に
最後に残った米を竹筒にこめ
子の寝顔に別れを告げ
妻の渡すお守袋と不安の表情には
笑みをかえし
天明三年九月二十四日未明を期し
ひそかに鎮守の森に集った。

東の峯がほのかに明るさをとりもどし
浅間さまの煙が見えはじめた時
寝静まる横川の関所を一気につきやぶり
碓氷峠を越えた時 あれはてた村々が
朝もやにおおわれた明るさの中で
息苦しく呼吸するのが見下ろせ
新しい怒声を叫び 仲間を呼び合い
軽井沢に乱入した。
まず穀物商 地主 庄屋の倉戸をたたきわり
怨嗟の的であり
火山弾にさえあけられなかった厚い白壁をくずし
農民達から かすめとり しぼりとった米を
痩せ細った農民 町民にわけあたえた。

その時すでに地元の農民も加わり
同勢五〇〇人
余勢をかって岩村田 志賀の村になだれ入り
幕府の穀倉を開放した時は
三〇〇〇の怒れる農民の集団となり
浅間の麓をめぐる
固い土にとぎすまされたスキ クワの
刃先の列はすすきのように陽に映え
むしろ旗は風にふるえ
小諸の城をめざして進撃した。

男も女も子供も
あまりにも大きくふくれあがった農民のかたまりに
城では消極的作戦をねり
手向かえば飛び道具にて打ち取るべしと
大筒 火矢を浅間の方向にかまえていた。
応戦の準備全くなり
農具ではかなわずと知った農民は
小諸附近の豪農 豪商の倉から米をうばいかえし
喚声をあげてひきかえした。

やがて天明の大騒動が静まり
人々の団結のゆるんだ隙をみて
捕吏達は村落の軒下から路地 田んぼの中へ
首謀者と判定する農民十二人を捕え
農民達のみせしめに
千曲川の岸で首を切りおとし
浅間に向けてさらし首にした。
だが ある雨と風の夜
十二の首はいつのまにか持ち去られ
そこには わらじの跡が乱れていた。
(つづく)

(『呼子』10号 1953年7月)

浅間


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