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長篇詩 怒る浅間山(1)

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 長篇詩 怒る浅間山

  執筆者 青山伸、岡沢光忠、小熊忠二、斉藤政雄、南出好子、中村武

わたしたちの絶えざる噴炎。
わたしたちの浅間。
わたしたちの歴史。
わたしたちの祖国。
永遠にもえる浅間には
いかりとかなしみ よろこびとなげきを
わたしたちの祖先が そして今日まで
日々祈りこめて

浅間の麓、碓氷峠を越えて
江戸に通ずる仲仙道。
加賀百万石の城主が駕籠に揺られ
一茶が浅間の煙に俳句を筆にし
江戸と信越北陸を結ぶ街道の難所
ひとびとの重い足どりを火山灰にしるしたところ。

天明三年七月八日の晴れた空に
その日 浅間は入道雲を背負い
ひときわ噴煙を中天に吹きあげ
麓に住む村人が不安のまなざしを
空に向けていた午前十時過
突然 人々の耳をつんざき
大地をふるわせ
怒る火柱を天につきたて
熔岩、熱泥を吐きだした

その頃 浅間の北麓六里ヶ原は
いくかかえもある十数丈の原始林におおわれ
里人はここを「梛(なぎ)の御林」と呼んでいたが
北川銚子口より流れ出る
大熔石龍になぎ倒され 埋没し
いまの「鬼押出し」の草木のない
当時の地獄図を想像させる奇観を作った

わけてもの悲劇は
噴出せる熱泥の大流に衝撃を直接かぶった
吾妻郡鎌原村の全村五九七人の中
四六六人の焼死者を一度に出し
親子兄弟を呼び合いのがれるいとまもなく
全村土石の下に隠れてしまった

やがて熱泥の奔流は北上州方面に崩落し
吾妻川に押出して利根川にそそぎこみ
関東一円の流域の村落を蕩尽して
死者一、一五一人
死傷者総計二〇、〇〇〇余
流失家屋一、〇六一戸
火山灰は関東信濃の田畠を枯らし
軽井沢 坂本の如きは
数尺に及ぶ落石と降灰に
家屋は殆ど焼失し
江戸においてすら太陽はかすみ 夕暮れの如く
遠く尾張 銚子方面までも降灰した。
(つづく)

(『呼子』10号 1953年7月)

 一九五三年、浅間山米軍演習地化反対運動という長野県内を揺るがす大闘争がありました。
 一九五一年に調印された日米安全保障条約が根源となり日本中に米軍の基地や演習地が作られました。浅間山は朝鮮戦争における山岳戦で苦しんだ米軍が山岳戦の演習最適地として選んだと言われます。県内の政党・労組・農民組合・教育団体・婦人団体・青年団などが反対に立ち上がり、県民の団結によって演習地化を阻み、「二百万人の勝利」とよばれました。
 長野の詩人たちは集団で長篇詩を書きました。「小熊忠二は軽井沢の軍事基地反対運動のデモに直接参加し、現地の生々しい動きを、身をもってさぐり、又、呼子の詩人以外に、この運動に加った農民や商人、労組の人々の声をとりいれ、記録と詩を結びつけ、実験的だが、行動の詩とも言えた。会員六名が、それぞれの項目を分担し、千八百行に及ぶ長篇詩「怒る浅間山」を発表し、大きな反響を呼んだ。」(青山伸「戦後・長野県詩人の活動─北信地方」『長野県年刊詩集一九六〇』)


呼子


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