ネルーダ 愛の詩 百の愛のソネット(17)九三番めのソネット

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 アラゴンはつづけて書く。

  わたしは 過ぎさった過去を 一挙に思い出す
  絶望にさいなまれて さまよい歩いた日日を
  この世にすねるよりも もっと偉大だった愛を

  それらのものが わたしを生き永らえさせてくれる
  もしもそこに エルザの名がなお輝いているなら
  もしもそこに 愛の言葉がなお熱く燃えているなら
  わたしは わたしに似たひとたちの中に生まれ変わる

  愛も死とおなじように 世間を騒がせるものだ
  わたしは 自分じしんの最後を見とどけたい
  火をともしておくれ わたしはここにいるのだ
  いまもなお愛を抱いて

 それにたいして、ネルーダはこう歌っている。

  マチルデよ くちびるだけは開いていておくれ
  最後のくちづけは おれとともに生き永らえ
  おまえの口の上にも消えずに 永遠に残るはずだ
  そうしてやっと おれは死んでゆくことができる
  そして抱きあったおれたちを 大地がのみこんでくれるとき
  おれたちは おなじただ一つの死のなかに溶けあって
  いつまでもいつまでも 永遠のくちづけに生きていよう
                   (九三番めのソネット)

 エンゲルスは、「きたるべき時代の愛」について、つぎのような、慎重ではあるが、きわめて予言的な見通しを述べた。
 「こうして、きたるべき資本主義的生産の一掃後における両性関係の秩序について今日われわれが推測できることは、主として消極的な性質のものであって、おおむね、とりのぞかれる面だけにかぎられている。しかし、なにがつけくわえられるであろうか?それは、新しい世代、すなわち、その生涯を通じて金銭その他の社会的権力手段で女の肉体提供を買うばあいに一度も出あったことのない男たちと、真の恋愛以外のなんらかの考慮から男に身をまかせたり、あるいは経済的結果をおそれて愛人に身をまかせるのをこばんだりするばあいに一度も出あったことのない女たちとの世代が成長したときに、おのずから決定されるであろう。この人々がいよいよあらわれてきたときには、彼らは、未来の世代のなすべき事がらについて今日の人間がどう考えているかには、まったく頓着しないであろう。彼らは彼ら自身の慣行を、そしてそれに応じた、各個人の実践にかんする彼らの世論を、みずからつくりだすであろう。……」(国民文庫版エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』一〇六ページ)
 ネルーダの愛の歌もまた、アラゴンやエリュアールのそれとともに、すでにエンゲルスが予感していた、新しい時代の新しい愛の実現、その「慣行」、その「世論」、その内實を反映していると同時に、新しい愛の模範を「みずからつくりだ」しているのである。

(完)

93番目のソネット



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