『断腸詩集』──詩による抵抗運動を計画

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   (詩による抵抗運動を計画)

 一九四〇年、アラゴンはリベラックの町にいた。エルザはずっとパリを離れずにいた。アラゴンは、『レ・コミュニスト』を書きあげた夜、パリに戻ってゆく部下の父親に、エルザと会って、すぐに南西部へ出発するように伝書(ことずて)をたのんだ。こうして六月二十四日、ひき裂かれていた恋びとたちは、ふたたび落ちあう。七月には動員を解除されて、彼らはひとまずカルカソンヌに身を落ちつける。その頃のことを、友人サドゥールは書いている。
「ダンケルクの大潰走後、われわれは、一九四〇年九月二一日、カルカソンヌで再会した。彼は小さな家具付アパートに、エルザと住んでいた。エルザは、床(ゆか)に布団をしいて、幾晩か、わたしを泊めてくれた。
 ある日、われわれは小さなレストランで、わたしの知らない青年をまじえて会食をした。青年は、アヴィニョンからやってきた男で、その地でカフェー・レストラン用品を販売していた。……名まえはピエール・セゲールスと言った。セゲールスは、「入隊中」に出していた詩誌『鉄かぶとをかぶった詩人たち』のあとを継ぐ『ボエジー四〇年』に、アラゴンが参劃してくれるように頼みにきていたのである。『ボエジー四〇年』の二月二十日号には、『ひき裂かれた恋びとたち』が発表され、四月二十日号には『一九四〇年の脚韻』が発表されていた。一九四〇年来、この新しい詩誌がめざした目的については、一九四四年の始め、被占領下で刊行された総目録の序文で、セゲールスが用心深く書いている。「あの困難な時代を通じて、われわれは、もちこたえる仕事を止めなかった。『ポエジー四四年』は読者諸君と友人たちに感謝する。彼らは、われわれの困難と意図とを汲んでくれて、われわれをはげまし、信頼してくれたのである」
 このもちこたえるという言葉は、読者がセゲールスの意図を汲みとるように、遠まわしに言ったもので、抵抗することを意味していたのである。
 こうして、ペタン政権とドイツ占領軍にたいする、詩による抵抗運動の最初の計画がねられる。その頃は、ヒットラーの対英攻撃が始まり、自由フランス軍のダカール上陸が失敗し、右翼の「グランゴワール」紙が「共産党の宣伝煽動が、党外の協力者をえて、再開されている。首脳部を潰滅させねばならない。共産党の煽動活動を押さえ、指導者の活動を禁じなければならない」(一九四〇年九月二十六日付)と書いていた頃である。この呼びかけにつづいて、まもなく、数百人におよぶ活動家たちが、パリやマルセーユで逮捕された。
 ところで、ペタンの休戦条約調印後三ヵ月たって、アラゴンが党との連絡をもちつづけていたとは考えられない。彼はただひとりで、なんら党からの指示もなしに、自分の詩の方向を決め、方針を決め、いろいろな出版物との協力を決めていたのである。すでに、「奇妙な戦争」中における、詩による闘いをとおして、かれは、自分の深い心情を詩で表現しうることに、確信を深めていた。いまや、敗戦、ヒトラーによる占領、ペタンの売国政権、ゲシュターボーとヴィシーの検閲……これらの新しい条件のもとで、詩を手段とした抵抗運動を、合法的に組織しなければならない。そのために、「自由地帯」の諸矛盾や、種種の出版物を利用することになる。
 アラゴンは、マヤコフスキーを「十月革命」の声高い歌い手として讃美していた。いま、フランスの大地が、ヒトラーの長靴にふみにじられ、ヴィシー政権が人民と祖国を売りわたしている時、こんどはアラゴン自身が、ふみにじられ、売りわたされたフランスの声高い歌い手となる。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

アルテッシモ


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