『断腸詩集』──リラと薔薇(下)

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 『リラと薔薇』は、一九四一年九月、「フィガロ」紙に発表された。フランス軍の敗戦、降伏後の、戦々競々とした沈黙の時代に、この三〇行の詩は、大きな反響をよび起したのだった。「フィガロ」紙の批評家アンドレ・ルッソーは、この詩は、「新しい詩の開花」の始まりを告げるものであり、「フランス精神に与えられた一種の恩寵であり、フランス人の心がフランス的な生命によってのみ生きるという意志をかためることのできた、血と涙の輝く瞬間」を定着した、といってこの詩を讃美した。
 この文章にたいして、「フィガロ」紙は共産主義者の宣伝に力を貸している、という非難の投書が舞い込んだ。ルッソーは答えた。「アラゴン氏が以前に、文学活動のほかにおこなった政治活動に、私はなんら同意するつもりはない」と。

 一九四〇年四月、アラゴンの部隊は、ベルギーに派遣される。彼は医療班長として、軽自動車隊に配属されていた。部隊は、ベルギー中部チルルモン郊外のベルギー軍陣地を救援することになっていた。しかし、五月初め、アラゴンの部隊が、チルルモンの近くに到着したときには、ドイツ軍の先遣部隊は、すでに百米先に迫っていた。その頃、マジノ戦の一角も崩れさっていたのである。
 こうして四〇年六月、「ダンケルクの悲劇」に遭遇して、からくもアラゴンは、九死に一生をえて帰還する。
 『リラと薔薇』のなかの

  愛を積みこんだ戦車や ベルギーの贈り物……
  ……
  熱狂した民衆が リラで飾った砲塔……

 という詩句は、ベルギーで受けた歓迎の光景をうたっている。その光景は『レ・コミュニスト』のなかに、鮮やかに描かれている。
 「……ボリナージュ(ベルギーの地名)のまんなかに着いた。……家いえは小さく、白く、まるで石膏のチーズのようだ。色とりどりの鎧戸の窓には、子供や女たちが鈴なりになり、カーテンが風のなかで、どこかの国旗のように、ごてごてした色で、陽気に、ひるがえっていた……いきなり花ばなが舞い飛んだ、花……花……いったい、どこで摘んできたんだろう? 赤や、黄や、紫の、そんなにたくさんの花を、朝から投げているとすれば……それに煙草、ビール、葡萄酒、果物、車にとりついて兵隊たちに抱きついている娘たち、それらすべてが、「フランス万才!」という歓呼の下でつづくのだ。それに気をとられているひまもなく、つづいてリラの花が現われた。みんなが、リラの花束を抱えてやってきた。道はリラで埋まった。戦車は敷きつめられたリラの上を進んだ。砲塔の中の兵隊たちは、ときどき、異教の神のように、花に包まれた……」
 小説におけるこの活写と、詩句とを比較すれば、アラゴンの詩におけるほとんど直接的なレアリズムがよくわかる。

 こん夜きけば パリはついに陥ちたという

 「この詩句は、いまもわれわれの記憶のなかに鳴りひびいている。かつてユゴーが、単純に、直接的に書いた「子供は頭に二発の弾丸をぶち込まれた」という詩句と同じように」とサドゥールは書いている。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ラベンダー


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