アラゴンの人となり ──最初のソヴィエト訪問(下)

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 (筆者はここで、その頃やはりモスコーに滞在していた中条百合子(宮本百合子)のことを思い出さずにはいられない。中条百合子は、正確には一九二七年十二月に東京を発ってモスクワへ向い、一九三○年十月二十五日にモスクワを発って帰国している。ちょうどアラゴンたちのモスクワ到着とすれちがいということになる。そのとき中条百合子は、みずみずしい澄んだ眼で、社会主義建設をまのあたりに、むさぼるように見てとり、自己の革命と未来への道を見きわめつつあった。東西の二人のブルジョワ出身の作家詩人が、社会主義建設を自分の眼でたしかめて、自己の革命への決定的な転換点としたということは偶然だろうか。───なお、宮本百合子の『道標』第三部には、マヤコフスキーの告別式の模様が、きわめて印象的に描かれている。

 「伸子は思いもかけない場所───広間の敷居を越した、棺の足もとで、停止した。停止した伸子の目のさきに棺からぬっとはみ出すように突立っているマヤコフスキーの大きな靴の裏があった。生きていないひとのはいている靴の底をまともに見ているというのは異様な感じだった。……伸子が思わず一旦そらすようにした視線をふたたび、大きな靴の裏にもどしたとき、伸子の瞳に、かすかな衝撃の色と、何かをいそいで理解しようとする表情が浮かんだ。大きい大きいマヤコフスキーの黒い靴の底に、二つのへりどめ金がうちつけられて光っているのだった……」)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

マヤコフスキーポスター
マヤコフスキー「労働組合を居浮花せよ!-4」1921年

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