アラゴンの人となり ──エルザとの出会い(下)

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 後年、このマヤコフスキーとの出会いについて、アラゴンはつぎのように書く。「この瞬間こそ、わたしの人生を全く変えてしまうことになった。詩を武器に変えることのできた詩人、革命の下手(しもて)にいることのできなかった詩人マヤコフスキーは、世界とわたしとを結びつけるきずなとなった。それは、わたしが自分の手くびに受けとり、こんにち、すべてのひとびとにさし示している鎖の最初の環である。この鎖は、あらたにわたしを外部世界に結びつけている。御用哲学者たちは、この外部世界を否定するようにといままでわたしに教えこんできた。唯物論者として、われわれが変革しうるこの外部世界に、それ以来、わたしは醜悪な敵の顔を見いだすだけでなく、数百万の男女の深い眼を見いだすのである。詩人マヤコフスキーは、これらのひとびとにこそ語りかけるべきであり、語りかけうることを、わたしに卒直に教えてくれた。これらのひとびとこそ、この世界を変革するであろう。彼らは、うち砕いた鎖のぶらさがっている傷だらけの拳を、この世界のうえ高くさしあげているのである」(『社会主義リアリスムのために』)

 アラゴンはまた、エルザに出会ったときの自画像を、自嘲のニヒリズムのなかに生きていた自分じしんのイメージを、つぎのように描く。

  おまえに会った時のわたしは 浜べで拾われた小石であり
  だれにも使い方のわからぬ 奇妙な落し物であり
  潮にうち上げられた 藻のからみついた六分儀であり
  部屋の中に入ろうと 窓べにただよっている靄(もや)であり
  掃除もされず ちらかし放題になったホテルの部屋であり
  祭りのあとの 汚れた紙屑で埋まった十字路であり
  列車のデッキに座った 切符なしの旅客であり
  悪い岸べのために 野の中をくねって流れる川であり
  自動車(くるま)のヘッド・ライトに照らし出された森の獣であり
  白みかけた明けがた 家に帰ってくる朝帰りの男であり
  牢獄の暗やみに 吹っきれずに残っている夢であり
  ……
  沼の濁った水を飲みに 駆け出してゆく馬であり
  夜 悪夢にうなされて もみくちゃになった枕であり
  眼に藁屑が入ったとて 太陽にあたり散らす罵詈(ばり)であり
  天の下 なんの異変も起らぬと 業をにやす むかっ腹であり
  夜中に おまえの出会ったわたしは 取り返しのつかぬ言葉であり
  家畜小屋に横たわって眠っていた 放浪者であり
  他人の頭文字のくっついた頸環をはめた犬であり
  わめき散らし 騒ぎ散らしていた かっての日の男であった
                           (『未完の物語』)

 こういうアラゴンの前に、エルザはまさに救世主のように現れた。エルザとの出会いは、アラゴンの人生における決定的な転機となる。それは、アラゴンの人生における、それまでとは全くちがった世界の出現を意味していた。このちがった世界がアラゴンをちがった人間へと、変えてゆくことになる。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ホテルイストリア
ホテル・イストリア=L'HÔTEL ISTRIAのプレート(安西良子さん撮影)
1920年代に出入りした芸術家たちの名前とアラゴンの詩が刻まれています

  ” 輝いたものは消えるだけだ…
  ホテル・イストリアからきみが出てきたとき
  すべてはちがっていた カンパーニュ・プルミエル街
  1929年 正午頃… ”
                    ルイ・アラゴン「私にはエルザのパリしかない」

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