エルザの人となり (2)エルザはロシヤを離れる(下)

ここでは、「エルザの人となり (2)エルザはロシヤを離れる(下)」 に関する記事を紹介しています。
 一九一九年に、エルザは、夫のアンドレとともに、タヒチ島に出かける。血なまぐさい戦場から帰ってきたアンドレが、孤独と静寂とを切望したからである。こうしてタヒチ島滞在に取材した短篇小説『タヒチ島にて』が書かれる。これはエルザの最初の短篇小説で、一九二五年、モスクワで出版されることになる。この作品はアンドレに献じられているが、ロシヤ語のわからなかった彼は、ついぞ一度も読むことはなかったのである。それに、この作品が書きあげられる前に、彼らは離婚してしまったのである。

 一九二三年、「やみがたい望郷の念に駆られ、ただひとり、郷愁の深淵にもがき苦しむ魂」を抱いて、エルザは、姉のリーリャに会うためにベルリンに行き、そこでほぼ一年を過している。
 エルザが、ゴーリキーの知遇を得たのも、このべルリン滞在中であった。
 「当時、敗戦と平価切下げのべルリンは、まるでロシヤの町のようだった。ロシヤのインテリゲンチャ、とりわけ芸術家や文学者たちが、ベルリンにやってきたり、帰ったり、来たまんま、帰らぬものもいた。わたしは、自分の故国とまではいかなくとも、すくなくとも気心の知れた雰囲気のなかに浸ることができた。その頃の雰囲気の描写は、ヴィクトル・シクロフスキーが、わたしに献じてくれた本、『愛について語らぬ手紙集、動物園、あるいは第三のエロイーズ』のなかに見出されるだろう。この手紙からなる小説(ロマン)には、いくつかの女の手紙がふくまれている。それらの手紙こそ、署名はないが、印刷されたわたしの最初の文章である。それは、個人的な手紙であって、出版するために書かれたものではなかった。……とにかく、シクロフスキーは、その頃、ベルリンの近くのサーローに住んでいたゴーリキーのところに、わたしの手紙をもって行った。ゴーリキーは、わたしに会いに来るようにと言ってきて、わたしは幾日か、彼の家に滞在した。ゴーリキーはわたしにいろいろと忠告してくれ、書くように説得してくれた。こうして、わたしは書き始めたのだ(『交錯小說集』第一卷序文)
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

パリジェンヌ


関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/3131-8b1b5cf2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック