エルザの人となり(1)少女時代

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エルザの人となり

 少女時代

 エルザ・トリオレは、一八九六年、モスクワの教養にとんだ中産階級の家の次女として生れる。その家には因襲打破をかかげた未来主義者たちが出入りしていた。マヤコフスキーもそのひとりだった。こうして、マヤコフスキーとエルザとの交遊は、かの女の少女時代から始まる。その交遊の思い出は、エルザの『マヤコフスキー』にくわしい。
 「わたしは詩が大好きでした。寝床(ベッド)でお人形と遊ぶ年頃から、もうレールモントフとプーシキンの二冊のぶ厚い本を寝床にひきこんでいました。この二冊の本にはためになることがぎっしり詰っていました。いろいろな映像を読み取ることもできましたし、またそれを色どってみることもできたのです……
 そののち、わたしは軽蔑すべき例の「デカダン」詩人たちをほったらかし、いささかもその害を蒙ることなく、プリューソフ、バリモント、ブロークなどの象徴派詩人(サンボリスト)に手をのばしました。わたしはこれらの詩人たちがスケートでもするように歌っているのに気づきました。……わたしたちの世代にとって象徴派はすでにとやかく言う筋合いのものでもありませんでした……わたしたちには、新たな地震が必要でした。そしてマヤコフスキーこそこの地震だったのです。そうは言っても、わたしたちの世代の中で、マヤコフスキーの詩の影響を受けていた人びとは、いわば開拓者のようなものでした。彼らは開拓者に特有な情熱や、忍耐力や、果敢な征服欲を持たねばなりませんでした」(エルザ『マヤコフスキー』神西清訳)
 つまり、エルザは、一九一五年にすでに、きわめて難解な詩をとおして、ウラジミール・マヤコフスキーという、当時あまり知られなかった詩人を発見していたのである。このことは、後年パリで、『パリの農夫』を読んで、この見知らぬ作者アラゴンに深い関心を抱き、情熱をよせるにいたることを、前ぶれしているかのようである。
 エルザは、異常な時代と状況のなかに生れあわせて、異常な生涯を送ることになる。かの女は、その少女時代を、十月革命のさなかに送った。しかし、かの女が後にロシャを去るようになったのは、けっして十月革命のためではなかった。その頃の思い出について、エルザはこう書いている。
 「若い頃、さかんに読書に耽っていたわたしは、自分で書こうなどとは、思ってもみなかった。わたしの手紙でさえ、数はごく少く、短かいものだった。書くことによって、わたしはただ自分自身と通信していた。わたしが日記をかき始めたのは、たぶん十二才の時だった。数年のあいだ、わたしは、一冊のノートに、ここかしこに書きつづけた。こうしてわたしは自分の音階の勉強をしたのだが、音階については何も知らなかった。わたしは建築を勉強していた。しかし、犬とか猫とか鳥とかの動物たちが、同類を求めるように、自然にひとも、同類を探し、見つけあうものだ。わたしの友だちは、詩人ばかりだった。画家や、文献学者や、歴史家や、詩人や──友だちはみんな詩を書いていた。恋と芸術、生れつつある詩、セザンヌにおける林檎の重み、愛の神秘、それらのもので、わたしたちは、えんえんとつづく長いおしゃべりに花を咲かせていた……」(『交錯小說集』第一卷序文)
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

バラ


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