『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』まえがき

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『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』

 まえがき

 愛しあうことがきわめて困難な現代にあっては、エルザとアラゴンのような模範的な愛は、一種の奇跡とも言えよう。そうしてかれら二人の名まえは、文学史上の高名な恋びとたちのリストのなかに書き込まれるであろう。
 アラゴンは、『断腸詩集』(一九四一年)から、『エルザの狂人』(一九六三年)へと、そしてこんにちにいたるまでなお、エルザへのかわらぬ愛を歌いつづけている。『エルザの狂人』という題名がしめすように、「エルザに憑(つ)かれたひと」の、老いを知らぬ情熱をもって歌いつづけている。
 エルザの詩人のこのエネルギーは、いったいどこから出てくるのだろう?
 エルザの詩人のこの愛は、いったい何を呼びかけているのだろう?
 アラゴン自身がそれに答えている。
「"わたしは愛する"、とわたしが言っても、ひとはわたしを信じてくれない。だが、わたしをよく見ていただきたい。わたしは恐らくは、ひとりの気狂いであり、恐らくは愛の奴隷であり、恐らくは阿呆であるかも知れない。しかし、わたしは諸君に申しあげるが、わたしはこの人生からただ一つのことを学びとったのだ。つまり、愛するということを。そしてわたしが諸君に望むことも、この愛するということを学びとる以外の何ものでもない」(『手の内を見せる』一三二頁)

 この本を書いているさいちゅう、エルザの突然の死が伝えられた。アラゴンの心中を察して、筆者もまた暗然とした。エルザは一九七○年六月十六日、波瀾にみちた七十四才の生涯を閉じた。かの女の枢には、アラゴンの心づかいで、かの女の最後の著書『鴬は夜明けに歌い止んだ』(一九七〇年)と、一輪の薔薇の花と、かの女が生前いつも身につけていた金の鎖とが入れられたということだ……また風の便りによれば、エルザの死後、アラゴンは窓を開ざし、カーテンをおろして、喪に服したということだ。アラゴンの慟哭がきこえてくるようだ。
 生前、エルザが病気で倒れたとき、アラゴンは、かの女を失いはせぬかという恐怖をこう書いた。

  とある夜 かの女の額がすっかり蒼ざめはて
  顔と手が 敷布(シーツ)にまがうばかりだったので
  わたしは自分が死ぬのではないかと思った
  毛布をたぐるその手も自分の手ではないかと

  とある夜 わたしの魂が死んだかと思った
  とある ひっそりとして凍(い)てつく長い夜
  わたしのなかで なにかが軋(きし)んだ
  わたしの中は 何か傷ついた鳥のようだった
                   (『未完の物語』)

 いまやこの恐怖は現実のものとなった。
 エルザは、アラゴンが『美女たち』という詩のなかで歌った、あの文学史上の美女たちの列に加わってしまった。かれがそのとき願ったように、「太陽に近いところ」へ、レジスタンスで朴れて行った英雄たちの近くへ行ってしまった。しかし、エルザは、アラゴンの詩とともに、アラゴンの詩のなかに生きつづけるだろう。

  もしもそこに エルザの名がなお輝いているなら
  もしもそこに 愛の言葉がなお熱く燃えているなら
  わたしは わたしに似た人たちの中に生れ変わる

 アラゴンが未来のなかに生れ変わるとすれば、エルザ=アラゴンという引き離しがたいひと組みとして生れ変わるに違いない。
 一八九七年生れのアラゴンは、一九一○年生れのわたしより十三、年上ということになる。ちょうどわたしの青年時代に──あの経済恐慌と戦争前夜の一九三○年代に、当時アラゴンたちがパリで華やかに繰りひろげていたシュルレアリスムの運動の波は、海を越えてわたしたちのところにまで打ち寄せてきた。わたしの手もとにも大版の雑誌『シュルレアリスム革命』や、その後身の『革命に奉仕するシュルレアリスム』が届けられた。それらの雑誌の表紙に蛍光塗料で印刷された大活字の表題は、闇のなかでぼおっと鬼火のように光って見えた……末熟なわたしのフランス語の力などでは、その中身を充分に読みとることはできなかったが、反抗、夢、狂気、突飛さの趣味、それらの中での絶望的な模索などは、ひしひしとわたしにも感じとることができた。わたしたち孤独な日本のシュルレアリストたちは、夜の街を、火を放って燃えあがらせた番傘をかついで歩いたり、曖味屋の屋根の上で踊ったりした。それは空しい孤独な反抗であり、まったくの愚行でしかなかった……やがて第二次大戦が始まった。燈火管制のしかれた暗い新宿の街を、わたしはアラゴンの『パリの農夫』やエリュアールの『ゆたかな眼』をふところに入れてさまよった。それだけが、当時のわたしの精神のよりどころであった。

 戦争が終って、あの敗戦後の混乱と瓦礫のなかで、『エルザの眼』や『フランスの起床ラッパ』を初めて読んだときの、あのめまいのするような感動を、わたしはいまも忘れることができない。

  ここ北仏の砂丘に 「五月」は死に
  ただよう春の香りを 砂は知らない

 この新しい叙事詩のなかの、余韻にみちた抒情の果てなさは、わたしを魅了した。それはかって読んだシュルレアリストの頃の詩とは見ちがえるばかりに、愛の叫びと魅惑にみちた詩人の歌ごえであった……それらの詩集のなかに鳴りひびいているフランス人民の英雄的精神、ナチに占領された百鬼夜行の暗黒の底でも、なお声高く湧きあがった新しい愛の歌、高くかかげられた光りと希望の色──それはほとんどわたしを圧倒したのだった。いくつもの嵐や試練がわたしたちを襲った時にも、わたしの思想や感情が混乱し、わたしが動揺した時にも、その光りと希望はわたしをささえ、わたしの道を照らしてくれたのである。ひとりの人間の人生を変え、その生き方を変えさせ、ひとに未来を覗きこませるような光りと希望を与えること──ここにこそ、アラゴンの詩のもつ深い力がある……
 この詩の深い力は、いったいどこから出てくるのか。あの夢と現実との、美と真実との、愛と詩との、まるで奇跡のような統一は、どのようにして成就したのか。その前方に、自殺という帰結しか見なかったシュルレアリストのアラゴンが、どのようにして偉大な愛の詩人、エルザの詩人となったのか。わたしはこの奇跡の秘密に近づいて見ようと思った。一つの言葉にも、しばしば、多くの意味や含みが与えられている、難解なアラゴンの詩は、わたしの手にあまるものであった。しかし、アラゴンの詩の魅惑にひかれて、わたしは敢えてそれを試みることにした。
(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』東邦出版社1971年)

エルザ


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