静江の久しぶりのラヴレター(1)

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久しぶりにラヴレターを書きます。
「淋しいアコーディオン」のレコードを聴いていたら、あなたの事が無性に恋しくなって、泣いてしまいました。この民謡を聴きながら榊作り**をしてたあなたの姿が浮かんで、とても申しわけない悔いで一杯でした。考えてみると結婚生活二十四年,もう半ばはとうに過ぎ、あと三分の一前後しか残されていない私たちの結婚生活、十数年しか、と言った方が適切かしら。そうだとしたら、毎週土曜日毎でいい、二人でどん底へ行きたい。又 私もえこぢを張らないで、あなたにつき合ってボルガへ行ったり、酒場へつき合って、ビールでも呑もうかしら。残りの十年を今から一刻も大切にして、二人の純金の時の結末にしたい。夏は二人でうんと海へ行きたいし、冬は温泉でもスキーでも、二人っきりで行きませう。ロシヤ民謡にも うんとつき合います。
 私も今迄、老後の為と考えましたが、もう、あなたには、今からが老後なのです。それをどんなに大切にしなければならないか。もうアパートの事***なんか考えますまい。私一人の老後なら子供が三人居るのだから、それこそ何とかなるでせう。もう今の、あなたの老後を大切にして、私はつきあいたい。今から そう考えませう。
 矢の様だった結婚生活二十四年の事を思う。あと十年なんて、とても淋しくて、泣けてきます。そのかけがえのない十年を二人でどんなに大切にしなければならないか。
 結婚して最初の五年、それは私が生まれてからこのかた、最も美しく、最も純粋に生きられた五年間でした。その次の五年は試練でしたね****。でも私は勝ち抜けた。それは愛と希望があったから。
 次の五年は子供への期待と希望で一杯でした。でもあなたは、秋の陽の中を、多摩川の枯葉の中で随分遊んでしまいましたね。一方、私はいけなくなっていました。店を持って仕事に熱中し出すと、あなたの條件もあまり考えず、めくらめっぽう前進してしまいましたもの。
 陽にやけた原書の春が悲しかった。散らされた原稿用紙、新しい本のふえない書斎。ワンマンになって行った自分。
 でも、あなたはいつも誠実でやさしく、思いやりがあった。本当に申しわけないくらい。私の仕事は面白い程どんどんひらけて行ったけど。
 そして私も四十ともなると、時には心に魔がさす事もあったけれど、あなたの純粋がいつも私の純粋を支え、私は真面目にあなたと歩調を合わせて、ここまで来られました。それが、これからの大切な十年を過ごそうと思う時の、何よりの自信であり、本当によかったと思う出発点です。 そう思うと、私は誰よりも幸せな結婚生活をしてきたと思うのですが、貴方が果たしてそうだったかどうか。それは、これから先の貴方の仕事のみのりが、すべての結着をつけるのだと思います。泣きながらここ迄書きました。もう目が真赤にはれ上って 鼻がつまってきたからやめます。
               あなたのおかあさん(プシケと書こうと思ったけれど、もうプシケではない*****。これからの名は、これから頂戴します)

 四月二十六日

◇   ◇   ◇   ◇
1969年に静江から博光に宛てた手紙が3篇見つかりました。原稿用紙9枚に書かれていました。
この時、博光は59歳、静江45歳になります。当時の静江の心境がわかりました。

*「淋しいアコーディオン」は博光がよく聴いていたソビエト歌曲。
**榊作り 神棚に供える榊の束を作る作業。毎月2回、中日と月末にやる博光の後方支援活動。分量が多いので元店員の方にも依頼していました。
***アパート 自宅を建て替えて一部を賃貸しアパートにし、収入を確保することを考えた。
****1950年、三鷹に移ってからの5年。花屋の開業、博光が肺結核で入院手術、朋光の結核入院、桃子を出産などが続いた。
*****結婚前のラヴレターで静江のことをプシケと呼んだ。

二人

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