心のなかのスペイン──ケヴェード

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 ケヴェード

 このスペイン黄金世紀の呪われた詩人は、言うべきことはすべて言って、既成の秩序をおびやかし、時の政府の敵となり、こうして必然的に牢獄に投げこまれることになる。役人はかれを黙らせようとしたが、かれは依然として機智と風刺にみちた文体で語りつづけたのだ。かれは脅かされた葦ではあったが、やはり「歌う葦」だった。そこにこそ重要な発見がある。詩人が人民の顔をもち、人民のために歌うにつれ、その詩は権力にとって無害ではなくなるということである。
 ネルーダはケヴェードをとおしてスペインに深く根をおろした物理的な死を認識するにいたる。『死のソネット』の詩人ケヴェードほどに、死から多くの仮面をはぎとり、ありのままの死に面とむかったものはなかった。ネルーダはかれにみちびかれて、肉体が死んで塵(ちり)となる、その塵(ちり)の果てまでたどってゆく。だがたとえある日、肉体や血が塵となるにしても、それは「愛する塵」となるだろう。「おのれの死すべき構造そのものに依拠しながら、存在と物の最後の破滅にうち勝つのは、悪魔でもプロメテュースでもなく、また神の裁きにもとづいて罪人を殺す大天使でもなく、じつに人間という物体なのである。」──『死のソネット』をとおしてケヴェードが語っているのは、愛による復活であり、明るい生物学的な教訓であり、何よりも生きることへの教訓なのである。
 ネルーダはのちに、『マチュ・ピチュの高み』と『一○○のソネット』のなかで、死についての自分自身の考察と思索とファンタジーを追求し、表現することになる。
 また最後の詩集『ニクソンサイドのすすめとチリ革命の賛歌』(一九七三年)のなかで、ネルーダはケヴェードに想いを馳せている。

    海とケヴェードへの愛と

  イスラ・ネグラのわが家で わたしは読む
  海のなか わが愛誦する詩のなかに
  その波うち 脈うつ躍動のなかに

  荒海と 呪われた愛に きらめくものを
  おんなじひとつの詩の泡を──
  波が砕けて きらめく海

  そうしてケヴェードの愛と 不運を
  憂鬱な心で 読んでいるわたし
  きっと わたしの運命は ちがうだろう
  わたしの戦闘的な 戦士の心は わたしを
  人民政府の ゲリラへとみちびくだろう  (新日本文庫『ネルーダ最後の詩集』)

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

イスラ・ネグラ



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