心のなかのスペイン

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 心のなかのスペイン

 一九三四年五月、ネルーダは領事としてバルセロナに赴任し、翌年二月にはマドリードへ総領事として転任する。
 バルセロナに着いたとき、ネルーダは忘れていたスペインに上陸し、忘れていた言語上の母国スペインを発見することになる。
 「人生は、わたしをして世界のもっとも遠い国ぐにを遍歴させたのち、わたしの出発点となる地スペインへとわたしをみちびいた」(「ケヴェードへの心の旅」)
 一九三四年にスペインへ行くまで、スペインはネルーダの人生と詩には現われて来ない。欠落しているのだ。ネルーダは中学生の頃から、教師だったガブリエラ・ミストラルのおかげでロシア文学に親しみ、つねにスペイン文化ではなくヨーロッパ文化に傾倒してきた。彼はジュール・ヴェルヌ、ディドロ、アナトール・フランス、ストリンドべルグ、ゴーリキーを読む。彼は、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の人物たちとともに苦しみ、心を痛め、ベルナルダン・ド・サン・ヒェルの『ポールとヴィルジニー』の愛について泣く……(『わたしの少年時代と詩』)
 初期の詩においても、彼はフランス語の詩人たちに傾倒しているだけでなく、そこから霊感をうけて、例えば「エレーヌへの新しいソネット」(ロンサール)にならった詩を書く。ネルーダはヴェルレーヌへは言及していないが、詩集『たそがれ』の言葉は、ヴュルレーヌの「艶なる宴」や「土星びとの詩」のそれにきわめて近い。こうして、『地上の住みか』の最初の二部まで、ネルーダの詩のなかには、スペインやスペイン詩の影響はほとんど見られない。『地上の住みか』のネルーダは、根もなく、支えもなく、生と死にとりまかれ、ただ絶えざる世界の動きの一員となることを受け入れている。しかも詩人の根強い個人主義は、民衆の声に耳を傾け、その闘争を理解することをさまたげていた。では、どのようにしてネルーダはスペインを発見し、スペインをおのれの出発点とすることができたのか。それはまずスペインの詩人たちの歓迎と友情のおかげであった。彼らはすでにネルーダを自分たちの仲間のひとりとして認めていた。一九二七年以来、マドリードの雑誌『エル・ソル』や『レ・ヴィスタ・デ・オクシデンテ』はネルーダの詩を掲載し、『地上の住みか』はすでにマドリードの詩人たちにひろく知られていた。数年前からネルーダと文通していたラファエル・アルベルティが詩集を手に入れていて、彼らに読んできかせていたからである。こうしてスペインの若い詩人たち、ロルカ、アルヴェルティ、セルヌーダ、サリナス、ミゲル・エルナンデス、マノロ・アルトラギーレなどの詩人たちがネルーダを歓迎し、ネルーダをとりまいてカフェーで、あるいは酒場で、詩の祭りがひらかれる。そうして詩人たちは、生まれたばかりのスペイン共和国の未来と希望のために乾杯したのだった……
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

ネルーダ写真
1935年マドリードにて 左からベルガミン、アルベルティ、ネルーダ、セルヌーダ、アルトラギーレ


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