アジアの旅・滞在(下)

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 こうしてラングーンには一年ほど滞在し、一九二八年にはコロンボ(セイロン)の領事となり、一九三○年にはパタヴイア(ジャワ)の領事となり、翌年にはシンガポール領事となる。

  わたしは サイゴン マドラス
  カンディの町町を駆けぬけ
  荘厳なアヌラダブラの石塔にまで足をはこび
  鯨のようなセイロンの岩のうえ
  悉達多(シッタルダ)の像のあいだを通りぬけて
  さらに遠くまで行った
  ピナンの挨(ほこり)のなかを通り
  ……
  バンコックのかなた 石膏の仮面をつけた
  舞姫たちの衣装のあいだを行った: ……     (『大いなる歌』)

 ネルーダのこのアジア滞在は五年間つづく。その孤独と倦怠のなかで『地上の住みか』の大半が書かれたが、その精神状況はつぎのような詩に歌われている

  ……
  わたしは自分の足や爪や髪の毛や
  自分の影に飽きることがある
  わたしは人間であることに飽きることがある

  わたしは自分にこんなに多くの不幸を望まない
  わたしはもう根っこであることも墓であることも
  孤独な穴倉であることも 凍えるような死者たちの
  地下埋葬所であることも望まない 悲しみで自分も死にそうだ  (『地上の住みか』)

 この孤独な五年のあいだ、ネルーダは自分の詩的技法をみがき、自分の詩のスタイルを確立し、『地上の住みか』(一九三三年)によって詩人としての名声を確立する。しかし、思想的にはネルーダはまだ自己中心的な個人主義のなかをさまよっていて、そこから抜け出すためには、スペィン戦争を待たなければならない。
(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

地上の住み家
『地上の住みか』

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