アジアの旅・滞在(中)ラングーン

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 ラングーンにおけるネルーダの生活は倦怠に悩まされる孤独なものであった。「わたしの公務の仕事は、三ヶ月に一回、チリ向けに固型パラフィンと大きな茶箱がカルカッタから到着したときに行うだけだった。わたしは熱に浮かされたように、書類に捺印したり、署名したりしなければならなかった。それからまた、何もしないで、市場や寺院をひとりで見てまわる、新しい三ヶ月がつづいた。それはわたしの詩にとって、もっとも苦悩にみちた時代だった……」(『回想録』)
 この詩人の孤独を、エキゾチックで情熱的なビルマの女との愛が色どり、さらには詩人を悩ますことにもなる。
 「彼女はイギリス風な服装をしていて、街での名前はジョシー・ブリスであった。しかし、まもなくわたしが共にするようになった二人の水入らずの生活では、彼女はこの衣服と名前を脱ぎ棄てて、まばゆいばかりのサロンを着、彼女の神秘的なビルマ名を名のった。……夜、ときどき、明りで眼が覚めると、幽霊が蚊帳のかげをうごめいていた。それは白衣を着た彼女で、土着民の長くて鋭い包丁を振りかざしていた。彼女は数時間というもの、わたしを殺す決心をきめかねて、わたしのベッドのまわりを行ったり来たりしていた……」(「回想錄」)
 この奔放で嫉妬ぶかいジョシー・ブリスは、翌年ネルーダがセイロン領事となって、コロンボに転勤になると、そこまで彼を追いかけてくる。しかし、彼女はついにこの恋をあきらめて別れてゆく。別れの船の上で──「彼女は愛と悲しみに駆られてわたしを抱擁し、わたしの顔を涙でぬらした。彼女は儀式でもするように、わたしの腕や上着に接吻し、わたしの避けるまもなく、とつぜんわたしの靴まで身をかがめた。立ち上ったとき、彼女の顔は白いチョークにまみれていた……その日わたしは、消えることのない傷痕を心にうけた。あの荒れ狂うような悲しみ、白いチョークだらけの顔のうえを流れていた恐るべき涙は、いまもわたしの記憶に刻みこまれて残っている」(『回想録』)
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

ネルーダ


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