アルベルト・ロハス・ヒメネス

ここでは、「アルベルト・ロハス・ヒメネス」 に関する記事を紹介しています。
 アルベルト・ロハス・ヒメネス

 「クラリダド」をとおし、また学生詩人たちのボへミヤン生活をとおして、ネルーダはたくさんのすぐれた若者たちと知り合いになった。そのなかから、詩人アルベルト・ロハス・ヒメネスの肖像を選んでみよう。ネルーダは書いている。
 「わたしが政治的にも文学的にも戦闘的活動家として参加していた雑誌『クラリダド』では、ほとんどすべてがアルベルト・ロハス・ヒメネスによって指導されていた。彼はやがてわたしの同世代のもっとも親しい仲間のひとりとなった。彼はつば広の帽子をかむり、大貴族のようにもみあげを長く伸ばしていた。彼は貧乏のなかで金の鳥のように踊っているように見えたが、その貧乏にもかかわらず、彼はおしゃれで美少年で、その尊大な態度、多くの紛争についての即座の理解力、あらゆる重大な事柄についての意欲にみちた楽しい知識などによって、新しいダンディスムのあらゆる資質を身につけていた。本や若い娘のこと、酒や船のこと、旅程や群島のことなど、彼はあらゆることを知っていて、ごく小さな点までそれを利用した。彼は永遠の浮浪少年としての、「自分の才能や魅力を浪費する専門家としての、不遜な態度で文学界を動きまわった。彼のネクタイは、全体的な貧乏のなかで、つねに輝かしい豪奢の見本だった。彼は絶えず家や町を変え、この流儀で、彼ののんきな陽気さ、根づよい自然なボへミヤン振りは数週間のあいだ、ランカグアやクリコ、ヴァルディヴィアやコンセプションやヴァルパライソの不意をつかれた住民たちを喜ばせた。彼は行きつく先に詩やデッサンやネクタイや、愛や友情を残して、やってきたようにまた立ち去った。……
 彼はアポリネールやスペインの極端派(ウルトライスタ)の理論にしたがって、最新流行の詩を書いた。彼は「アグ」という新しい詩の流派をつくったが、その名は彼によれば、人間の最初の叫び、生まれたばかりの赤子の最初の詩句だという。……
 ……数年後、チリでももっとも雨の多い冬、ロハス・ヒメネスは死んだ。彼はサンティアゴのまんなかのある酒場にいつものように上着を残してきた。あの南極のような冬のなかを、彼はシャツひとつで町を横切って、姉の住んでいたキンタ・ノルマル公園まで辿り着いた。二日後、気管支肺炎がわたしの知っていたもっとも魅惑的な人間のひとりをこの世から連れさった……」

 ネルーダはこのようにロハス・ヒメネス像を描きながら、その早い死などをのぞいて、そのいくらかはネルーダ自身の自画像をもそこに描いたのではないか──わたしにはそう思われてしかたがない。
 ネルーダがロハス・ヒメネスの死を知ったとき、彼はバルセロナにいた。さっそく彼はヒメネスへの挽歌を書く。

   いまアルベルト・ロハス・ヒメネスが飛んでくる

  ひとをびっくりさせるペンのなか
  夜のなか もくれんのなか 電報のなか
  南東の海風のなかを
     きみはいま飛んでくる

  墓の下 灰の下を
  凍った貝殻の下を
  最後の地上の水の下を·
     きみはいま飛んでくる

  血を越え 骨を越えて
  パンを越え 葡萄酒を越えて
  火を越えて
     きみはいま飛んでくる

  …………
 
  おお 海のヒナゲシよ わが兄弟よ
  おお蜜蜂に蔽われたわがギター作りよ
  きみの髪のなかの多くの影をわたしは拒む
     きみはいま飛んでくる

  …………
   きみの翼と静かな飛翔がきこえる
  死者たちの波がわたしにうちよせる
  湿った盲目の鳩たちのように
     きみはいま飛んでくる

  きみはいま飛んでくる たったひとりで
  死者たちのなかをひとりで 永遠にひとりで
  きみはいま飛んでくる 影もなく名もなく
  砂糖もなく 口もなく バラの木もなく
     きみはいま飛んでくる        (『地上の住みか』)

新日本新書『パブロ・ネルーダ』

ヒメネス
Alberto Rojas Jiménez (1900 - 1934)


関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/3097-f5cbb23a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック