小泉正雄のはがき

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博光の親しい友人だった小泉正雄が博光に宛てたはがきがフランス原書「Littérature française」(1929年)のしおりとして挟まっていました。

小泉正雄宛名

 東京市淀橋区柏木三の三一九 山本様方
 大島博光様
 奈良市北京極町
 小泉正雄
(消印)12 7.29(昭和12年7月29日=1937年)


蝋人形社の住所が東京市淀橋区柏木三の三七七でしたので、すぐ近くに下宿していたのでしょうか。

小泉正雄はがき

ご無沙汰した。雑誌有り難う。君も元気でやっている様子なので嬉しい。それにしてもローマ字詩の提唱者がローマ字で詩を書かないのはどうしたことだ。ああいふ長い複雑な詩はローマ字で書くと分かりにくいのなら、ローマ字詩運動も多難だと思われる。君の訪問記はいつも一番面白い。僕が最も愛読するのは訪問記だ。当選作は皆甘くてつまらん。商業政策として一年に一回位はこんなことでもしなくてはならないのかと思うと君の仕事に同情してしまう。高橋の雑文は率直で面白かった。僕は先日 五日間程、伊勢の津へ海水浴に行って、つい二日前帰って来たばかりだ。勝見が下関へ徴兵検査を受けに行った帰り、奈良へ寄ったので二人連れで浴ぎに行っていた次第。黒くなって皮が盛んにむくれて、健康になった。

消印と内容からは『蝋人形』1937年5月号、6月号、7月号(7月1日発行)送付に対する返礼のようです。

まず、5月号に「ローマ字詩運動の理由」と題して加藤憲治(同誌編集者)がローマ字詩の推進を論じています。これにこたえるかのように博光がローマ字で書いた詩を載せています(エレジーElegie<5月号>、二十世紀(アラゴン)20-Seiki<6月号>が、加藤憲治は詩を載せていません。ローマ字詩じたいがこれ以後ほとんど掲載されていません。

次に、博光の訪問記はいつも一番面白いとありますが、博光の名前での訪問記は見当たりません。西尾洋の名前で「川路柳虹氏との一時間」<5月号>「野口米次郎との一時間」<6月号>「西脇順三郎との一時間」<7月号>がありますが、西尾洋が博光のペンネームなのかは不明です。

「高橋の雑文」も高橋の名前の文章が投稿作品を含めてこの3冊には見当たりませんので、ペンネームを使っているようです。

高橋と勝見は共通の友人なので、4人は早稲田大学での仲間だったのではないかと思われます。

奈良の街で──大陸で戦死した友 小泉正雄の霊へ


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