パブロ・ネルーダ──学生連合と『クラリダド』(上)

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 学生連合と『クラリダド』

 こうしてサンティアゴにおけるネルーダの学生生活が始まる。つば広の帽子をかむり、マントを身につけた、その頃のネルーダの写真は、学生詩人のボへミヤン姿をよくしめしている。彼は多くの学生詩人たちといっしょに、夜どおし酒場で詩を論じたり歌ったりした。
 その頃、ネルーダはフランスの象徴派の詩人アルベール・サマンを読み、ボードレールやランボオの詩に熱中する。
 「……そのころ、うつくしいフランス詩の詞華集(アントロジー)が出て流行となり、みんなが争うようにして手に入れた。わたしは貧乏で買えなかったので、ひとから借りて書きうつした。……大学における文学生活はわたしを圧倒した。わたしのような田舎者にとって、フランスの詩人をよく知っていて、ボードレールを語るような人たちに会うことは、大きな魅力だった。わたしたちは夜を徹してフランスの詩人たちを論じあった……」

 しかし、ネルーダはフランスの詩にばかり傾倒していたのでなく、スペイン語の詩人、とりわけニカラグアの詩人ルベン・ダリーオなどにも傾倒していたのである。
 ルべン・ダリーオは、ラテン・アメリカにおけるモダニスムの詩運動の旗手であり、このモダニスムの時代は、ダリーオの『青空』が刊行された一八八八年から、かれの死んだ一九一六年の間とされている。自由主義の文学上の子であるダリーオのモダニスムは、卑俗化したロマンティスムの無趣味、粗野に反対して、繊細な手法、豊かな形式、新しい韻律、魅力ある大胆さ、これまで表現されたことのない感動などをもたらした。このモダニスムは、フランスの高踏派(パルナシアン)や象徴主義から影響をうけると同時に、スペインの詩的伝統からも霊感をうけていた。たとえば、ゴンゴラと一七世紀バロック、一九世紀のグスターボ・アドルフ・ベッケルなどの伝統をうけつぎ、復活させた。その特徴は貴族的であり、世紀末的な、芸術のための芸術の追求であった。しかし、このモダニスムの構築物も第一次大戦によって粉砕され、その紋切型のスタイルは次第に衰えてゆく。
 他方、第一次大戦後のヨーロッパでは、モラル、思想、文学芸術上の混乱と危機の時代を迎え、この混乱と危機を反映して、立体主義、未来主義、ダダイスムなどの前衛的な運動が相ついでおこり、一九二四年にはブルトン、アラゴン、エリュアールなどによるシュールレアリスムの運動がおこってくる。これらの運動は、戦前のブルジョワ的なモラル、思想、文学芸術にたいする反抗、否定としておこったものである。他方、同じ頃、フランスの共産主義者アンリ・パルビュスは『クラルテ』(光明)誌に拠って、自由、反戦平和をめざす社会主義的ヒュマニスムの運動を展開し、つよい影響を与えていた。アルゼンチンやチリで発行された『クラリダド」はその影響によるもので、新しい革命的な運動を展開していた。ネルーダはすでにテムコの中学生だった時、「クラリダド」の通信員で、その二、三〇部を仲間たちに配布していた。一九二○年に起った学生連合の悲劇をネルーダは回想して書いている。
(つづく)

新日本新書『パブロ・ネルーダ』

ネルーダ
サンティアゴの学生時代のネルーダ

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